ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2393, 恥はかかせろ、いじめはなくすな
   戸塚宏が、「新潮45」6月号に寄稿していた文章が考えさせられた。
   彼は自分の戸塚ヨットスクールで、生徒を何人か死なせた責任で6年の実刑を終えて、
    再びヨットスクールで指導をしている。石原慎太郎も弁護者で彼を支持している。
   
  ーまず彼の論の概要をまとめてみるー
   *力は悪か、いや善である。

・6年経って出所して、子供たちは良くなったかといえば、ますますオカシクなっている。
 生気がなくなり、得体の知れない無力感を漂わせ、一方で些細なことで直ぐに自殺する
 子供が増えている。
・暴れる子供はまだよいが、無気力で何も行動を起こさない子供は直しにくいし、
 完全に直らない。 登校拒否とか、引きこもりやニートといった、社会に反発する力の
 ない子供たち。 彼らは幸福を感じる能力もないし、幸福になろうと行動もしない。
 人類始まって以来の、最も奇妙な生きものが出来上がってしまった。
・明らかに戦後教育が間違っていた。戦後教育は「力は悪なり」と教え込んでいた。
 教育者も親も、その信者で子供を強くすることは悪だと思い込んでいた。
 そして子供たちを弱く弱く育ててきた。 しかし、力は善に決まっている。
 弱ければ役に立たない。海で溺れている子供を、腕におぼえのある人が助けて、
 子供は一命を取りとめることができる。 力があればこそ助けられるのである。
 強いからこそ、行動ができるのである。 それをどこで、どう間違ったのか、
 「悪」としてきたのが、戦後教育なのだ。
・子供を教育するに当たって、「褒めて育てる」ということがまかり通っている。
 「叱るより褒める方が正しい」と親も先生も思い込んでいる。
 だが「褒めるより叱る方が正しい」に決まっている。 褒めて褒めて、みんな駄目に
 してきたのである。 叱ることを、罰のひとつとしてみよう。 罰は世界中にある。
 だから人間の本能である。 本能は種族保存を目的としているから善、当然、
 罰は善である。駄目な奴、失敗した奴を罰しようというのは、善なる目的を持っている。
 それは、 相手の進歩でもある。 罰は相手のためを思ってやることなのだ。
 叱ることも同様で、相手を考えて叱ってやるのだ。
・いまは何でも気に入らないこと、悪いことは人のせいにするような若者が増えている。
 自分が幸福でないのは、あいつが悪い、社会が悪いという具合に。
 自分の責任を棚上げしてしまう。だから自分の責任として考えなければ、その人の責任はない。
・叱って、自分のやったことは自分の責任だと、その責任を明確にしてやる。
 そうして初めて己がよくわかるものなのだ。 自分より上の人がわかってくる。
 そうするとそこに出てくるものは何か。 恥である。
 恥は怒りを導き、人間を進歩させようとする意志と行動を生む。
 つまり、恥をかく能力は自分を進歩させる能力なのだ。
 だから私はいつも、いかに恥を出してやるか、に心を砕いている。
 
    ーーー
    ヤンキー先生とかいう、わかったようなことを言っている男をTVでみかける。、
    まあ、それなりに若者を理解して指導をして効果を上げているのだろう?
    しかし、何か若者に媚びているだけに思えて良い印象はなかった。
    半年ほど前に戸塚宏と、ヤンキー先生が議論をした。
    数分でヤンキーの化けの皮が吹っ飛んでしまった。
    見ていても気の毒で、哀れな無様な姿が、そこにあった。
    私の見方が歪んでいたのか、自省しながらみていたが、そうではなかった。
    不良のエネルギーの方向を変えることと、引きこもりの心に火を点ける視点は違うが。
    戸塚の「叱って『恥だし』をして、怒りを導き出し、意志と行動を生み出させること」
    これはやる気を引き出す基本である。 
    それにしても、9割の若者たちは酷い、あまりに酷い!
    自ら気づいてないからなお恐ろしい。
                             ーつづく
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10月22日(月)
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