ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2027, 「私」のための現代思想 −14
おはよ〜!(*^ワ^*)i
(~O~)ふぁ・・
ーこの章の一番のポイントは次の部分であるー
ある個人の「死」とは、<身体>に属する要素が存在しなくなることを指す。
死によって、<身体>が消滅し、<身体>の属している「声」も消失します。
それでも、<私>を構成する要素である「超越確実言明」は消滅しません。
また、構築されていた《私》も消滅しません。
ーー
何度も何度も、この部分を考えてみた。
納得できるような、釈然としないような深い内容である。
《私》が死なないのは、ソクラテスの《私》がプラトンによって記録されて、
永遠に生きていることをみても解ることだ。
《私》は消滅しないということが哲学的にみて正しいとすれば
「いま生きている瞬間」を全てを丁寧に、そして
人生そのものを、あらためて考え直さなければならない。
{<私>と《私》は消滅しない}という言葉を「超越確実言明」としていれば、
過去の人生は変わっていた!
「死んでしまえば、それまでよ!」を{超越確実言明」としてきたが、
そうではないということだ。
ブログなどで自分を語り、公開する時代なら尚のこと顕わになる。
その意味で、この本は難しい内容だが、根本から人生観を考えさせられる。
「私」のことだから、根本問題である。
<身体>が消滅しても、<私>と《私》は消滅しないというカルトみたいなことが
論理的にもいえるとは・・・
もう一度、本当に納得できるものか振り返ってみたが、矛盾は無い。
<身体>も<私>も《私》を大事にしなくては!
ーー
第五章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味
−B
ー 正しく死ぬ・正しく生きる ー
*<私>は「死」によっては消滅しない
「《私》は、<他者>によって引き受けられている」
<身体>が消滅しても、<私>は存在しつづける。
決してカルトではない。
ある個人の「死」とは、<身体>に属する要素が存在しなくなることを指す。
死によって、<身体>が消滅し、<身体>の属している「声」も消失します。
しかしそれでも、<私>を構成する要素である「超越確実言明」は消滅しません。
また、構築されていた《私》も消滅しません。
さらには、<声>によって共振することはできないものの、<他者>も消滅しません。
<身体>が無くなり、「声」への応答がなくなったことによって、<他者>は
直接的に「糧」を得ようと《私》や<私>に接近し、それによって、<他者>が
共振を受け取ることができます。
一方、死によって発生するのは、「もはや『糧』を得ることのできない私」であり、
「受益を放棄した私」です。
死んだ後に残るのは、「<他者>によって引き受けることのない生」としての
《私》と、「超越確実言明」の束としての<私>です。
*「死ねば楽になる」は正しいのか?
「死ねば楽になる」は、
「死ぬ」−>「辛さから逃れる」と変換できる。
そこでの「辛さ」とは、
束縛から逃れられないときに<私>が発生する信号である。
それは「私」が「逃れる物語」を遂行中であり、かつ、そこにおいて
「自由が失われている」ことを指している。
「辛さ」とは、<私>において発生し、
<私>に含まれる概念であるということです。
したがって、まず「どの物語が『辛さ』を発生させているのか」を
考えるのが、論理的な思考であるはずです。それがわかれば、
それを放棄すればよいだけですが、『生きること自体が辛い』
という場合は、自ら死を選ぶことになっていまいます。
[<身体>の消滅]−>[辛さから逃れる]
は、正しくありません。
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10月21日(土)
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