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堀井On-Line
by horii86
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■1998, 「私」のための現代思想  −2

     
   (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
         
                −読書日記

第一章 「私」を縛るものは何か ーT

ーまずは問題とは

まず「我われの世界は正しいのか」
という問題をまず考えなくてはならない。
我われの世界には正しい部分と、腐った部分がある。
《「世界」と「私」は、ともに腐っていく》という方が解りやすい。
この世界で自分が腐っていくのを実感することは、
さらに腐敗にまみれないようにするためには、
非常に重要である。

    我われを拘束する要素として、
   <言葉><価値><社会>が考えられる。

ー言葉ー
私たちは<言葉>を使ってこの世界を認識し、
他者に何かを伝えます。言葉は「思考の枠組み」であり、
便利な道具ではあるものの、逆にその「枠」の外には出られない
という意味で束縛となる場合がある。

    ー価値ー
    私たちは何らかの、<価値>を求め、それに照らし合わせて
    自分の行動を決定したり選択したりします。
    自分が重要だと考えている<価値>そのものが、
    私たちを束縛している場合がある。

ー社会ー
この枠組みは、私たちがよりよく生きるために構築されてきたもの
ですが、そこに窮屈感や閉塞感が出ることがある。
これらは「束縛」となる場合と、
「自由になるための武器」になる場合がある。


 この束縛から脱するには、これらを得なくてはならない。
 得るためには、まずは言葉・価値・社会とは何か知らなければならない。


まずは
ーー《言葉》についてーー

言葉の機能の中心には「分類」があります。
これは、言葉は「私たちが知覚したものを分類する」
ために用いられるという意味である。

私たちが「何かを学ぶ」ということは、
ー社会において重要とされている分類基準を自分のものとするー

ということを意味しています。
このとき私たちは、少しだけ「自分を殺す」ことになります。
それが「大人になる」ということであり、「社会化する」ということです。
    
    フランスの精神分析家のピエール・ルジャンドルは
    =換言すれば、
    
   「 自己と世界に対する関係は言葉のスクリーンを経由する 」
    
    ということです。人間のアイデンティティには複数の水準がありますが、
    自己への同一化(それが主観的なアイデンティティ形成です)と、
    世界の同定および世界への同一化ということです。
    その全てにとって前提となるのが言葉のスクリーンなのです。

自由に「思考」するためには
=「他人の考えるように考える」ということは、重要である反面、
「他の人が考えるようにしか考えられない」という状況を発生させてしまう。
そのときに人は「言葉による束縛」もしくは「言葉の専制」を実感します。
そうならないために、
‘社会の側の分類規準は便宜的なものでしかない’
ことを、しっかりと把握しておかなくてはならない。
自分を殺さずに、社会の側の分類規準と上手くやっていかなければならないが、
そのとき重要なことは、
「言葉の主人は自分である」
という意識を持ち続けることである。

すなわち言葉は、
  自分を拘束するものではなく、
  認識の道具であり、
  意思伝達の道具であり、
  思考の道具である。

    言葉が「意思」伝達の手段である時、
    私たちは社会の側の分類基準に従わなくてはなりません。
    しかし言語が「認識や思考」の手段であるとき、私たちはそれに必ずしも
    従う必要はありません。問題は、認識と思考のための道具である言語を、
    伝達のための道具として使ってしまったところにあるわけですから、
    その用途を明確に区別することができれば、その束縛から逃れることが可能になる。

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09月22日(金)
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