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堀井On-Line
by horii86
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■1997, 「私」のための現代思想
読書日記
\(^▽^*)おは!
(光文社新書)
著者・高田 明典
「私」とは何か、
「他人」とは何か、
そして他人の集まった「世界」とは何か?
を解りやすく書いてある本がないかと思っていた矢先に、
図書館でこの本に行き当たった。
哲学、そして現代思想で、常に言及している問題である。
この本では、
<言葉><価値><社会><世界><物語><私><身体><他者>
という現代思想の主要概念を検討する構成をとっている。
この著書の中で、凝縮されたポイントを抜粋してみよう。
まずは「はじめに」の中から、
ポイントの部分を抜粋してみる。
・フランスの哲学者のシモーヌ・ヴェイユは、哲学の教師でありながら、
一介の労働者として工場に入り込み、そこで辛い体験を通して、
自らの思想を研ぎ澄ました。
そこで工場での体験で意志の発揮の機会はことごとく奪われてしまいました。
そこで私たちは「時間の流れ」にさからうことはできません。
しかし時間の流れの中で、次に到来する時点において何をしているかを
思い描き、その通りに行動することはできます。
それを人は「意志」といいます。
また、「精神」とも、「魂」ともいいます。
すなわち「魂」とは、人が「時間を支配すること」です。
もしも「次の瞬間」、もしくは「次の時間単位」に発生することが、
自分の意志とはまったく関係なく起こるものであれば、
人は「瞬間的に生きる」ほかなくなります。
その自由は失われます。
・教養とは「自由になるための技術」です。
そして哲学や現代思想は、その柱の一つです。
私たちに与えられた武器は、思考であり言語であり論理である。
それ以外の武器を、私たちは持っていません。
自由になるための「技術の束縛」から逃れるためには、
「技術を所有する」ことです。
「お金の束縛」から逃れるには、「お金を所有」するしかありません。
所有するとは権限を持つことと同義語である。
何に束縛を感じるか、その人によって違います。
その違いは、それぞれの個人の「物語」の違いによります。
物語は「人が生きていく上での行動の道筋」です。
束縛は、外部に存在して人の行動を制限するものではありません。
その人が採用する「物語」が遂行していく途上に存在する「壁」のことです。
「金銭という束縛」を感じているとすれば、それは「金銭が壁となって邪魔をする」
という「物語」が遂行中であることを意味しています。
「思考による束縛」の場合は、「思考を捨てる」ということは、
すなわち「何も考えない」ということなので、その実現はかなり難しいと思われる。
「思考の束縛」から逃れるためには、「思考を所有する」ほかはないようです。
ーー
〈目 次〉
はじめに
序 章 「私」の問題とは何か
問題
道具としての「思考」
第1章 「私」を縛るものは何か
〈言葉〉について
〈価値〉について
〈社会〉について
第2章 「私」はどこで、どのように生きているのか
ハイデガーの「世界劇場」
リオタールの「大きな物語への不信」
物語を生きる
第3章 「私」とは何か
〈私〉という概念
ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム論」
束縛から逃れる
第4章 「私」にとって、「他者」とは何か
レヴィナスの〈他者〉
「ともに生きる」ということ
第5章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味
「ともに闘う」ということ
「正しい」ということ
正しく死ぬ/正しく生きる
〈世界〉をつくる
おわりに
索引
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09月21日(木)
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