ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1851, ローマから日本が見える−7
才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
-読書日記
1千年以上にわたって広域の多民族を支配し続けたシステムの根幹とは、
驚くほどの合理的、かつシンプルで、それぞれの民族にとってもプラスで
なければならない。
そこは突き詰めた組織の経験則の宝庫のはず。
その秘密が、『組織のローマ』の中で解明されている。
時間をかけて写すだけの価値は充分にあった。
過去より現在の方が果たして進歩しているのだろうか?
宗教は人間にとってプラスだったのだろうか?
それは神のみぞ知る?である。
著者はローマ帝国史を読んでいる時には、
自分が皇帝になったつもりで読むと良いといっているが・・・
しばし、皇帝になるのも良いものだ!
ーーー
第4章 『組織のローマ』、ここにあり
前章で述べた「リキニウス法」で、100年にわたる貴族と平民の対立は解消へと
向かう。この決断が、驚くべき決断であり、どの社会でも起こりえる階級対立は
『取りこみ方式』で解消しようとしたのはローマのみであった。
その選択が結果として正しかったのは、その後のローマ史が明らかにしています。
僅か100年前にケルト人によって、あわや滅ぼされそうになった民族が
イタリアの覇者になれたのは、貴族と平民の融和政策であった。
平民の中から優れた人材を集めて、その人材を元老院を中心とした
統治体制の中で活用していくやり方を、今日の表現に変えると、
「組織力」という一語に集約される。
ーローマ人に「信賞必罰」は不要だった
『組織のローマ』を語る際に欠かせないのは、ローマではたとえ
戦闘で敗れても、これによって、たとえローマ軍が敗戦に敗戦を重ねてもー
これは後で述べるハンニバルの戦いで実際起こったことであるがー
指揮官が払底することは無かったのです。
共同体意識の強かったローマでは、何よりも名誉が重んじられた。
いったん有事ともなれば、貴族も平民も全てをなげうって国家防衛に
あたるのがローマ人であった。
そのローマ人にとって、自分の与えられた任務をまっとうできないで、
敗戦の責任者になることは、ローマ人にとって恥辱に他ならない。
これが当時のローマ社会の常識であった。
その死ぬほどに恥ずかしい思いをしている指揮官を裁くまでもないと
思ったのです。
その時点で恥という最大の罰を与えられていたのです。
ー二つのネットワークー
歴史家リヴィウスをして『アレクサンダーをも退けたに違いない』
といわせたローマの組織力は何も、共和制度だけに負っていたわけではない。
リキニウス法以後のローマには、同時代の他の国の持ってない二つの大きな
武器がありました。
・一つは、モノや人を動かす上でのネットワークとしての道路網。
・もう一つは、ローマを中心とする、国家間のネットワークとしての
「ローマ連合」。
この二つのネットワークの力で、ローマはイタリア半島の覇者になり、
その後には地中海の覇者になるのです。
実はこの二つが同じコインの裏と表になるのです。
別の言い方をするならば、
・道路網がハードウェアなら、
・「ローマ連合」がソフトウェアであった。
歴史家プルタルコスは、ローマが他を圧して大きくなった理由として
次の一言に要約しました。
「敗者さえも自分達に同化させる彼らのやり方ぐらい、
ローマを強大化に寄与したことはない」
この美徳はロムルスの時代にすでにサビーニ族との同化において現われていたが、
それが王政から共和制に移行した後も変わることがなかった。
ー次回は、その「ローマ連合」の内容である!
つづく
o(▽^*)ノ~~=バイ〜バイ♪
皇帝諸君!
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04月28日(金)
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