ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1601, 「間」について
ある本を読んでいたら、間について書いてあった。
時間の間、空間の間を考えてみると面白い!
その概略をまとめてみた。
−−
日本の文化の一つの特徴に「間」がある。
「間」には、時間的・空間的な「間」がある。
東洋画、とくに水墨画の白の空間としての「間」が
絵としての決定的な要素になるほど重要になる。
また時空の圧縮された間として、相撲の仕切りと立ちあい瞬間がある。
お互いの呼吸と間合いが緊張感で張り裂けそうである。
歌舞伎や狂言の「間」も、大きな要素をしめている。
歌舞伎は「間の芸術」であるともいえる。
落語や漫才も「間」一つで、笑いがとれるかどうか左右する。
アナウンサーの上手い下手も、どう「間」を話の中に取り入れるかで決まってくる。
日本語は強弱のアクセントがないので、間を必要とするという。
「間抜け」とは、よくいったもので、そういう間のとり方を知らないひとをいう。
「間」とかを全く意識しないで実験で、感情を入れて文章を読ませたら、
感情を入れない時に比べて、多くの間がとられていたことがわかった。
「間」の長短の変化が自動的に入ってしまうのだ。
また「間」は、人間の呼吸に関係している。
相撲の立ちあいでの間合いを、呼吸を合わせるという。
お互いの息を合わせることが間合いを合わせることになるのだ。
歌い手と演奏者の関係も同じである。
お互いに息ー呼吸が合わなくては歌と伴奏を合わなくなる。
−つづく
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2004年08月21日(土)
1236, 広松渉ー(5)−哲学についてー30
人間は、それぞれの正義がある。
そして、その正義にしたがっていきている。
その正義の成立条件を考えるとなかなか面白い。
第三章 実践するとはどういうことか
第三節 正義の成立条件
のポイントを抜粋する
・正義と不義
正義と不義という価値対立性が志向的・実現的な行為目的の価値評価の基準を
なすと私は考えます。
・・・より高い実践的価値を実現する行為が私の謂う正義であり、それに
背馳する行為が不義である。
・身体的存在=自己
正義ということは
「より高い行為目的の撰取」が可能なこと、および、
「志向目的の行動的実現」が可能なこと、
これら二つの「可能」性を前提にしている。
前者はいわゆる「選択の自由」、後者はいわゆる「起動・駆動の自由」の
問題に属し、そうじて「自由意志」の問題に属します。
この自由意志」という大問題を論究するためには、「人格的主体」の問題を
検討しなくてはなりません。
人は幕場的情況に応じてその都度一定の役柄存在相で行為を演じるとはいえ、
役柄存在には尽きない内自的主体があるように自・他を覚識します。
生徒に対する対他的関係においては教師であり、医師のそれに対しては
患者であり、妻に対しては夫であり・・・・という役柄を一切脱ぎ捨てて
もなお残る本人、一切の対他的関係の規定から切り離しても残る
実体的自己同一者、そのような内自的な主体が厳存するように思えます。
・・・新陳代謝に留目すれば、人体は骨を形成している物質分子に至るまで
一定の時間後にはすっかり入れかわってしまうのであり、人体を一個の物
と見做すのは、譬えていえば、河を一個の物に見立てるようなものです。
中味はすっかり換わってしまうものであり、変わらないのは「形」だけと
言いたいところですが、現実には成長・老化につれて「形」さえ変わります。
・・・個人が単なる肉体的存在でないとすれば、実体的自己同一体としての
魂なるものを内在させているということにして、
霊魂的自己同一性に拠って規定さるべきでしょうか?
・・・意識・意志を具えた実体的霊魂の内在という思念は、近代科学的
発想には馴染まないにしても、依然として根強い。
実体的霊魂とやらは、その存在を実証することも、その存在を確証することも、
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08月21日(日)
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