ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7578,閑話小題 〜追い詰められた中国 −A
考えざるをえない?日々。 人生の価値とは何か?は、人生の根本問題。
その時点時点で、価値を見出し、それに従って生きているのが人間だが、
実際には考えているフリをしているだけで、漫然と生きているだけ。
ニーチェが、そのいい加減な万人の生き方を取り上げ、人生に意味などない、
世の中に価値など無いと知るべきと、指摘している。 キリスト教の教えを、
弱者の救済の思想とし、その教えの価値も全く無いと切り捨てている。
価値無きものを求めるから、人間は間違えるものと。そうこう考えると、
せっかく哲学書を読み続けていながら、今さら、自分の人生に価値=意味が
あったか?などという思いは妄想そのもの? あるのは充実していたか
どうかの一点である。その辺のオバサンかオバアサンが、したり顔で人の
悪口、陰口を言っている醜さは、結局は自分のことを言っているに過ぎない
ことを自覚してないためでる。 まして大の男が腐った女?のような価値論
を述べているなど・・ エッ私のこと?いえ、貴方のこと!いや全ての人。
・・・・・・
4993,暴走する世間 −9
2014年11月15日(土)
「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤直樹(著)
* ケイタイ、スマホが子供、若者を駄目にするわけ
以前、繁華街でTVレポーターが若者に何か質問をしたところ、やおら
ケイタイを取り出し、友人に連絡をして、その友人の言葉を鸚鵡返しに答えて
いたのには驚いた。考えようとせず、反射的に誰かに聞いて、その場を繕って
いる現代の若者の姿が、そのまま現れ出ていた。それが今ではスマホで検索
すれば答えが瞬時に出てくる時代、便利さが、考える能力と自立心をそぎ
落としている。 ー以下の指摘が、まさに、言当てている!
≪ アメリカでは、子どもにケータイをもたせることは、子どもの自立を
妨げるのではないかという議論がある。アメリカの社会学者タークルが、
つぎのような興味深いことをいっている。
<かつては、たとえばニューヨークの繁華街に初めて自分だけで行くとか、
地下鉄に一人で乗るとか、ボストンの街をどこまでも歩いていいという許しを
もらうとか、都会の子どもがそういう経験をするとき、その子にとっては
「自分だけが頼り」だったわけ。自分がただ一人ですべての責任を負うわけ
ですから、何か危険なことや恐ろしいことが起こっても、自分で身の振り方
を決めなければなりません。人は、どこかでそういう経験をし、そこで湧き
起こる感情と闘う術を学んでいかなければならない。どんなことが起こった
としても、状況を打開できるかどうかは自分次第だったのです。
しかし携帯電話の登場以来、子どもがこういう経験をして理屈上は一人で
あっても、親がずっとそばにいるという不思議な状況が生まれています。
また子ども自身も、自分が一人ではないと感じているのです。また、携帯
電話は、このような状況を作り出しているわけです。子ども一人では心
もとないだろうと思われる場面で親が見守っているという経験をさせる
ことは可能になりましたが、自立の時を遅らせているだけだともいえます。
(タークル「技術を本来の役割に」より)>
ケイタイによって、親が子どもとずっと一緒にいるという状況が生じ、
子どもひとりやらなければならないことが阻害されるというのだ。
「ひとりでいてもひとりじゃない」状況は、自立を妨げるということ。≫
11月15日(月)
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