ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6998,読書日記 〜‘残酷すぎる真実’−2
座禅が終わって五時ぐらい。それから本を読んだりものを書いたり。以前は
夜型だったんだけど、朝一時間は夜の3〜4時間に匹敵する、それがわかって
から夜は仕事をしないことにした。朝2〜3時間仕事をすることが、だいたい
自分のノルマになったかな。 ・・・。 ≫
▼ 数ヶ月前から、ブログを書上げネットにアップした後、それまでは、
 次のプログラムを直ぐに移行するが、その時、ただボ〜ッと全身を弛緩し、
ただ座ることにした。これが意外と難しい。要するに雑念が次々と思い浮ぶが、
その中に思いもよらぬ砂金が含まれていることがある。「我考える」とはいえ、
どうせ、碌なことしか考えてない。それなら、この随想日記のように、まず
禄でもないことから、考えればよい。元もと『禄でない』だから!
早朝の散歩も、ポタリングも、ある瞬間、『無念無想』の瞬間がある。
『エッ!俺、何時もボ〜ッとしている』って? それってバカじゃないか。
それってバカじゃない。

・・・・・・
5901,閑話小題 〜病は覚醒装置である 〜3
2017年05月12日(金)
   * 自己を失うことと、存在を失うこととは違う
 <自己を失うことと、存在を失うこととは違う>とは、意味深長の言葉。 
 挫折を例にすると、「挫折で自己を失った時期があったが、その中でも、
自己の存在が、その状況を冷たく、優しく見つめていた」という存在である。
印税が多く入ってくるのだろうが、浪費癖のため、蓄積は多くない?  
≪ 入院した半年後に退院したが、仕事が皆無になっていた。いきなりバッタ
 扉を閉められたのだ。世界は私を拒否をした。私は何もかもを失ってゼロに
なった。ゼロに、そうゼロである。仕事もなければ、身体を支える足も萎え、
私は私の知っているではない。見慣れない老いさらばえた女が鏡に映っている。
 …(略) 仕事を失ったと同時に、私は社会から閉め出され、私を規定する
他者を失った。他者を失うことは、すなわち自己を失うことである。ここで
あえて「ゼロ」を「無」とは表現しない。世間が中村うさぎを消し去っても、
私の存在自体がこの世から消えるわけではない。
 「自分を失うことと、存在を失うことと同義ではない」。
自分がゼロになった感覚は恐ろしいものだが、しばらくすると何だかどうでも
よいいいことのように思えるようになった。ゼロになったということは、単に
リセットされたということではないか。
 たとえば、ゲームをやっていて、いきなり何かのエラーで強制終了になって
今までやってきたことが、全部リセットされるなんてことは、昔は日常茶飯事
だった。同じようなことが人生でも起きたと思えばいい。また一からやり直せば
いい。そんな強制終了も人生でも起こりえるのだと、と学べただけでも儲けもの
ではないのか? …(略) 結局のところ、人間は自分で自分を救わなくては、
どこにも行けない。≫

▼ 深く考えることも、大きく挫折したことのないサラリーマンが、定年を
 むかえた時に、上記のような初老性欝病に陥るケースが多い。「私の人生、
何だった?」の根本的疑問である。20歳代から30歳半ばまで多くの変転を重ね、
リセットの最中で、著者の「自分で自分を救わないと、どこにも行けない。
何者にもなれない!」と独り言を脳裏で呟くしかなかった。それが、6年前の
リタイアの節目から、現在に至るまで、他者の存在に気にすることなく、
現在に至っている。元もと自分も、他者も、幻想でしかない。そこまで、
精神を覚醒していれば、何のことはない。どうでもよい事である。

05月12日(火)
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