ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4875,意味としての心 ~意味の意味
他人に優しくなれなかったこと ○ 自分が一番と信じて疑わなかったこと ○
遺産をどうするかを決めなかったこと △ 自分の葬儀を考えなかったこと ○
故郷に帰らなかったこと ○ 美味しいものを食べておかなかったこと ◎
仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと ◎ 行きたい場所に旅行しなかったこと ◎
会いたい人に会っておかなかったこと ◎ 記憶に残る恋愛をしなかったこと ???
結婚をしなかったこと ○ 子供を育てなかったこと ○
子供を結婚させなかったこと ○ 自分の生きた証を残さなかったこと ◎
生と死の問題を乗り越えられなかったこと ○ 神仏の教えをしらなかったこと ○
愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと ○
(字数制限のためカット 2011年7月20日)
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2663, 「哲学づくと、どうなるか」
2008年07月20日(日)
この随想日記を7年以上毎日書き続けたためか、以下のように左から右へと変わってしまった。 但し重心だが。
ということは、過去の自己否定の辛い日々になっている?
根本を突き詰めない日々 ー> 考える日々(考えざるを得ない日々))
日常に流される日々 ー> 新しい知識を求め続ける日々
役立つことを追求する日々 ー> 役に立つとか立たない外を求める日々
常識を加える日々 ー> 常識を根本的に疑う日々
実生活のプラスを加える日々ー> 真実とは何かを求める日々
マスコミに左右された日々 ー> 自分の道理を最優先にする日々
群れを求める傾向 ー> 孤独の時間に重心を移動
要するに自分の話す言葉、書く言葉を大事にするようになった。その反面、これまでの表層的な自分を思い出しながら赤面している。
そういえば、二十・三十歳代半までは右側の傾向が強かったようだが・・・ インターネットと、印刷の発明とドチラが人類にとって
大発明になるのかといえば(私自身の判断だが)数段、インターネットだと思う。その人類の大きな転機の大事件に立ちあっている。
それぞれがブログを通して「語ること」を始めたのである。ブログで語り始めて、語りを継続をして、私の場合、哲学づいたのである。
自分の知識と経験の限界を知ることは、何か空しい気もする。 知っていることより、知らないことが膨大に広がっているのを知ると、
先ほど書いた右側の傾向になっていくのである。それにしても、面白い岐路を生きたものだ。
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2007年07月20日(金)
2299, また地震!どうなっている?まったく! ー3
「柏崎原発直下に断層」 ー耐震設計の前提崩れるー
これが昨日の地元紙の新潟日報一面のトップ記事である。
更に一面の下にある「日報抄」というコラムに以下のようにあったが、これしか書けないのがマスコミの限界だろう。
(字数制限のためカット 2010年7月20日)
07月20日(日)
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