ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4773,ぼんやりの時間 ー6
「ファンタジー文学の世界へ」 ー読書日記
P-154 「さいはての島へ」(ゲド戦記?)
■目的と存在 ー「ある人生と、する人生」について
第三巻は、壮年になったゲドが王子アレンとともに、世界の均衡を取り戻す旅に出る物語です。
これから本格的に冒険が始まろうとする前夜、ゲドは、以下のようにアレンに語りかけます。
「よくよく考えるんだぞ、アレン、大きな選択に迫られた時には。 まだ若かった頃、わしは‘ある人生’と
‘する人生’のどちらかを選ばなければならなくなった。わしはマスがハエに飛びつくように、ぱっと後者に飛びついた。
だが、わしらは何をしても、その行為のいずれからも自由にはなりえないし、その行為の結果からも自由にはなりえないものだ。
ひとつの行為が次の行為を生み、それが、またつぎを生む。そうなると、わしらは、ごくたまにしか今みたいな 時間が持てなくなる。
一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、ただ、「ある」という、それだけでいられる時間、あるいは、
自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間をね。」ここでの「ある人生」とは人間の存在を意味し「する人生」とは
人生の目的を意味する。 人間の全体性を哲学的に分析すれば、この存在と目的という観点は重要な切り口である。抜粋にあるとおり、
若きゲドは「する人生」に飛びついたという。目的は若者の特権としても、目的だけの人生には、常に、危ないものがつきまとう。
目的を持つことと、それを目指す行為とは一体のものだから。目的と行為の一体性には、何ら問題が無いように感じるかも知れない。
しかし、往々にして行為のみに追われだすと、行為という活動に実在感を得て、何もしないことや、何もできないことが自分にとって
否定的に感じてしまう。とにかく「動く」ことのみ専心してしまいがちになる。活動のみに追われて、その意味を考えることが
鬱陶しくなってくる場合が多くなる。先の抜粋の中の『一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、
ただ「ある」という、それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間』が大きな意味を持つ。
この休止時間こそ最も大事な時間である。この時間の中で、一に戻って考えることこそ、個々人の心や魂と向き合うことになる。
・・・・・・・
ゲドも、世界の危機を救うさまざまな冒険を成し遂げ、魔法学院の長である大賢人となるが、本人はそれを喜ばない。
そして曰く「わしのほうは、うむ、いろんなものになった。いちばん最後が、そして、おそらく、いちばんつまらないものが、
この大賢人というやつだ」と。河合隼雄が著書「生と死の接点」の冒頭「ライフサイクル」の中で、人生の「後半の問題」を解説する。
ユングがフロイトへの批判をして、「フロイトは人生の前半の問題(自我の確立といった言葉で表される)
しか相手にしていない」としている。「人生後半の問題とは、自分なりのコスモロジーを完成させることである。
04月09日(水)
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