ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[393486hit]
■4700,閑話小題 ーシネマの観客は、私一人!
出来ないじゃないか」と素直な気持ちを吐露した。 それに対し、スラスラ出た言葉が、「でも、それはこれからのこと。
唯心論じゃないけれど、思い出の中で会える。自分の大部分は過去で出来ているし、過去は都合の良いように変えることも出来るが、
間違いなく存在していた。その存在こそ絶対であるし、消すことも無くなることもない。 もし死んだとしても、実は死んではいないし、
もう会えないということより、母親その人と会えたことの方が奇跡だし、その方を考えた方が良い。悲しいのは解るが、死とは何かじっくり
見つめ学ぶ機会と考えた方が良いんじゃないか」悟ったような答えであったが、考えてみたら哲学者の池田晶子の言葉のうけ売り言葉。
しかしスラスラと出たのは事実。『死』は人生の最大の関心事である。それも自分の母親の死は自分の死を考える機会になる。
両親が亡くなって、その直後の数ヶ月を過ぎてからは寂しい思いはなかった。亡くなることによって心の中心に深く住むようになった。
そして心の底から感謝ができるようになった。しかし、これは義母−二人称の死の話だが、実は自分のことでもある。
まさに死そのものより、「現在、いまここ、にある自分の存在」の意味と同じことをいっているのである。死を考えるということは、
自分が「いま・ここ」に、そして生きてきたことの不思議を考えることである。 亡くなる=無になるということは有り得ない。
「無にどうしてなるのか? 無いものに成るなど、ありえないこと!」全くそのとおりで疑う余地は全くない。
それが存在することの不思議につながる。「何故いま・ここに、自分がこうして存在しているのだろうか?」不思議で不思議で、
まずそこから出発しないと・・存在とは何か?そして、その消滅とは? ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪
・・・・・・・・・・・
2006年01月26日(木)
1759, 閑話小題 (●′∀`)σ )Д`○)★Ohayou☆
ー新手のおれおれ詐欺?ー
ーうそー
(字数制限のためカット 2012年1月26日)
01月26日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る