ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4534, 今日、我が家に新しいテレビが ー2
哲学的価値論は、戦後の哲学界においては余り流行らなかったが、ひと昔前までは「哲学とは即ち価値哲学である」というほどであって、
価値は哲学上の一大テーマなのです。 哲学のいう「価値」は広汎もわたるので、ここでは行為についての正当・不当評価を論軸とする。
・価値」なるものにおいて、二大陣営の対立がある。
 一方は価値という客観的存在を認める立場であり、いま一方は価値とは主観感情にすぎないと見做す立場である
 客観的存立性を認める立場においても、「価値そのもの」と、
「価値を付帯・内具しているもの・ごと」とを区別をし、後者を「財」と呼びます。
「美そのもの」「善そのもの」等が「価値」とされ、「美人」「善い行い」「良い酒」等が「財」になる。
 価値そのものの特質を見てみると、哲学者は「価値」と「存在」とを区別をし、「価値判断」と「事実判断」を区別します。
 価値は、真・偽、善・悪、美・醜、聖・俗・・・というように、必ず正価値と反価値とが対になっているのが特徴である。
・価値について価値絶対説と価値相対説とがある。 絶対説は超歴史的に文化圏にかかわりなく価値は存立すると主張、相対説は
歴史的・文化的に価値は相対的にすぎないと主張する解りやすくいえば「美」という価値は超歴史的であり、いつの時代にも
「美人」と評価される女性が存在をした。しかし、ある時代に存在した美人は違う時代、違う地区では美人と認められるかというと、
そうではない。マリリン・モンローはインドネシアでは全く認められなかったというし、楊貴妃は。
現在のパリでは、全くの不美人に評価されるという。実質的価値認定は相対的である。
 ー期待される行動とサンクション(賞・罰)ー
人類は動物学的に見るとき早産である謂れ、かなり長期間にわたって手厚い養育を受けてはじめて生育できる未熟児とも言われる。 
動物である以上、人も呼吸・摂食・排泄をおこないますが、その仕方さえ、本能のままでなく、文化的様式化されます。
総じて、親が子に対して、上位者が下位者に対して、等々、立場上・役柄上、自覚的に賞罰行動をおこなうケースは、現実に
賞罰効果をもつ行動の極々一部にすぎないといえましょう。それにもかかわらず、人々の「共演」的行動は、大抵が、意図せざる
賞罰的な効果を対他的対自的にもつのであり、そのため、日常不断の行動を通じて、行動様態の「賞罰的」誘導規制、そのことによる
行動の間主体的同調化、ひいては、行動様態についての当為的価値評価の共同主観的斉同化が現に成立する次第になります。
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偶然の一致か、去年の今日に「タイムクエスト」の本で価値観について取り上げていた。
今年の価値観は哲学として取り上げた内容であるが、それにしても偶然と言うのも面白いものである。


08月15日(木)
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