ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6990,閑話小題 〜父親の話
二度と見ることがなくなる。その弊害が、その習慣の自然消滅の原因になって
しまう。 現在のブログに、毎日、同月同日の文章をコピペをしているのは、
かって書いた内容を、一年に一度、目を通す為である。また、ブログ内検索で、
思い出すキーワードで過去文を瞬時に引出している。実際、この随想日記は
私には非常に有効なシステムになっている。「私は無能で、遊び好きで、怠け者」
と自覚しているため、習慣化という第二の天性を多く重ねるしかないことを、
人生で学んできた。 他者の冷たい蔑視に、殆ど気にしないでいられるのは、
<少し離れてみれば、所詮、石の形、大小が違えども、砂利、砂でしかない> 
 を自覚しているため。 良質の量の増加は、質の自然変化を促す。それも、
 砂利の中の比較世界の話、アフォと、パーの違い。
トランプとクリントン女史の討論を見れば、自明? 韓国の女子たちも然り。
すると、安倍・麻生コンビも如何だろう?と 自然考えてしまう。・∀・)ニ 

・・・・・・
2005年11月03日(木)
1675, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−1
                      −読書日記
「創造する心 日野啓三対談集」につづいて、図書館から
日野啓三著「自薦エッセイ集 魂の光景」を借りてきた。
読めば読むほど、日野啓三の深い洞察に驚きざるを得ない。
数年前に亡くなったが、1990年代、60歳代に入ってから大きな
手術をし、死と向き合うことによって、一段と深い所に達したようだ。
心の奥底に、先祖たちの、生物のあらゆる記憶の存在を感じている。
神秘思想に非常に近いところにいる。 しかし同時に心の奥底に、
神秘思想のところがありながら、「意識は脳の働きである」という
意識を明確に持ったまま、心の奥深い世界を描写している。
 印象に深い章から抜粋しながら考えてみる。

ー「書くことの秘儀」ー
”小説を書くってことは、なにひとつ実在しないところから、
リアリティを生み出すことだ、”
”だが死は恐怖であると同時に、生をより自覚的に劇的に物語的に、
悲壮の輝かしく喜ばしいものと痛感させる条件ではなかっただろうか。
死者を弔い。祖霊、神霊への祈り、祭り。
それに伴う様々な建築物、道具、装備品の洗練。 歌と壁画。
食って寝て性交をして子供を育てる以上の膨大な事柄が、
われわれの生を満たすようになったのだ、意識と言葉の進化によって。
一口に言語といっても、他人とのコミュニケーションのための話し言葉と、
ひとり物思い思考しその過程と結論を刻みつける書き言葉とは、
ほとんど異質なものである。 新人を、その抽象的・象徴的能力を
特徴づけるのは、書き言葉とその洗練である。

”「書くことは、話し言葉の領域とは違う領域からやってくる」
「当人は口をきかない、別の人格の言葉なのだ」
本当に、このことはとても微妙で重要だ。
<「別の人格」とは何のことか>ユングは「神話的元型」といった。
インディアンの祈祷師マツゥスは「沈黙の知」といった。”

”自分自身の言葉で自分自身の想念、思考、予感、物語を書く人は、
よく知っているはずだ―文章を書き進んで自然にふしぎな加速度がついて、
自分の内部がどんどんめくれ上がって、何者かに乗り移られたような状態に
なる瞬間があることを。 以後、自分はいわば巫女のように、自動筆記機械
のように、その正体不明の何者かの、言葉以前の暗い想念のエネルギーの
ゆらぎを言葉に翻訳するような具合になることを。”

”少し落ち着いて考えてみれば、”自分の言葉”などないのだ。何万何十
万年の間に数え切れぬ人々の体験と感情と思考が折り重なり、まといつき、
溶けてはまた固まってでき上がってきた言葉の連なりのシステムがある。
ただしとても曖昧で重層的なシステムだ。”

”より自分に近く言葉を使う人の方が、もの言わぬ「別の人格」あるいは
「沈黙の知」に、つまり自分を超える何者かに近づき触れることができる。
心ならずも近き触れて、その無言者の代弁ないし通訳になってしまう。”


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