ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6985,閑話小題 〜さらに言う… これは酷い!
にしています。それは現実に迎合したり、諦めを隠ぺいするために「真理」を妄信
したりするような行為とは正反対の、いわば現実に対する知的抗議ともいえる営み
なのです。 怒りは言葉を生み出します。怒ることを「黙ってはいられない」など
と表現することがあるように、怒りは人に対して言葉を発するよう仕向けるのです。
それはまさに哲学の営みにとって不可欠の要素であるといえます。・・・当たり前
のことに怒る、わからないことに怒る、権力に怒る、従順なだけの民に怒る、自分
自身の人生に怒る。怒るとは、生きるうえでの情熱の尺度であり、それは悩み続ける
人生を引き受ける営みにほかなりません。まさに怒るとは哲学することである。≫
▼ 問題解決には、粘り強い思考が要求される。単に感情をぶつけ合うのでなく、
エネルギーを出し合って、ベストの道筋を考え出すのに怒りを利用すればよい。
創業は、正に怒りの連続になる。目に見えないものを独り信じ、一つずつ積み
上げていく。そこに計画通りにいかない苛立ちと不安と怒りが、自分の行為の
エネルギーになる。また考えるヒントになる。哲学者の中島義道の著書の中で、
彼が怒りっぽいことを具体的に書いていたが、この本を読んで、納得。この一連の
出来事の中で、多くの怒りに直面してきた。その都度、目を背けないで、怒りの
本質を凝視してきたが、成るほど、そこに経験者しか知りえない道理を見ることが
出来た。手の裏を返してきた彼等。 ああ、そうだったのか! という気づき。
それもあって、「怒るとは哲学することである」という言葉は、実体験で理解できた。
結局、人間は色いろな究極の場面で、品性が出てくるもの。それも、マイナーの
方が表立って噴出してくる。年齢を重ねるほど、哲学(考えること)する必要性が
ある。何故、あの時、あの人は、あれだけ怒ったのだろう?
何故、私は、あの時怒ったのだろう? あの時の感動で何が変わったのだろう?
感情の最たるものは怒りと感動?
・・・・・・
4497, 怒らないって本当は恐い! ー12
2013年07月09日(火)
『怒りの作法』小川仁志著
* 怒らない作法
矛盾しているようだが、ここで「怒らないという方法」について言及している。
≪ 怒らなくても問題が解決する時に、あえて怒る必要がない。その場合、静観
する勇気も必要で、淡々と処理をする。相手が怒っている場合、特に注意すべき。
ネガティブの人、卑小な人を相手にすると、同じレベルまで落ちる危険がある。
ニーチェは、他人の成功を妬んだり、自身の弱さを他人への復讐心に変えていく
ような人間を「ハエ」と表現、そこで「そんなハエを叩いて人生を過ごしてはいけ
ない」と警鐘をならす。もう一つ、人間が一人考え行動できることに限界がある。
そういう限界に謙虚になるのも必要なこと。怒って解決できる物事ばかりでない、
気が熟するの待つことも必要である。その間に、知恵を増やすか、仲間を増やし、
力を増やしてから、改めて怒れば良い。その意味で、信長型ではいけません。
待つという意味では秀吉型でも足りない、家康型でなければいけません。・・・≫
▼ 一連の事業撤退のプロセスで、地方経済の惨状認識の実感と周囲の段差に驚き、
怒りさえ感じた。商売柄、津波の到来が早い立ち位置にあっただけだが。
ニーチェは、「ハエ」と表現したが、私は「シラミ」である。そういう私もシラミ
だが、ただシラミを自覚している。いや自覚できないのがシラミだから?私は?…
だから、そろそろ気持ちに余裕が出来て、改めて見渡すと、危険度が増している
のが分かる。民主党も酷いが、自民党も酷い。あの戦犯の?二人が首相と副首相
になり、更に悪い間違いをしようとしている。その付けを支払うのは国民である。
その自民党に国民が多く支持しているのだから。政治的にみて憲法改革は必要。
甘い餌で釣ることもありだが。怒るには覚悟がいるが、怒らないことにも覚悟が…。
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04月29日(水)
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