ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6955,閑話小題 〜AIロボット
以前書いた「白い雲にのって」は、半覚醒で子供時代に立ち返った内容。
夢のような、魂の故郷を漂った白昼夢の世界の描写である(いや白朝夢か)。
白い雲に乗ったイメージで当時の思い出の世界に入ると、記憶がドンドン
出てくる。脳の奥行きの深さに驚いてしまう。
ある意味で夢と同じぐらい深い脳の領域に思える。
50〜60年前の赤ちゃんから幼児の記億の世界は、魂の世界である。
殆んど忘れてしまった、古い古い記億の痕跡への旅である。
立ち返って気がついたのは、それからの人生の激しい時代の記億より、
ず〜と刺激の強い世界の思い出である。
白銀色の毎日が新鮮な経験のシャワーを浴びているようで、愛情に包まれた
夢のような日々であった。ドラマをみているような、自分そのものが舞台劇の
小さな子供の役者を担っていた。
初めての大きなショックが、柏崎の親戚の近くの海を初めてみた時である。
それまでは近くの公園の池しか見たことがなかった。
海のコバルト・ブルーを見たときの驚きは現在でもはっきり憶えている。
それと、舟と漁師の姿と磯のカオリも記億に鮮明に残っている。
よほどショックだったのだろう。
ところで、私が生まれたのは第二次大戦の終戦の5ヶ月後の1946年1月15日である。
越後長岡の東神田で産湯をつかり、長岡駅から100b先繁華街の四つ角に三月後に
戻ってきた。百日風邪になり「もしかしたら駄目かもしれないと医者に言われた」
と、父は口ぐせのように言っていた。
私の名前は八人兄弟の末で「八郎」というが、実際は九人目で、
もう一人2歳で亡くなった兄がいた。父が42歳、母が38歳の時の子供である。
そのためか、特に父親にはペットのように特別愛されて育った。
16歳、14歳、年上の兄と、その下に姉が4人、その下にすぐ上の兄がいて、
最後に私という構成であった。(2~3歳違いで、双子、年子は一人もいない)
終戦直後で両親は大家族の生活維持のため人一倍働かなくてはならない条件が。
産まれてから10年間の長岡のど真ん中の大手通の生活は刺激の強い環境にあった。
東神田から大手通に連れてこられた生後三ヶ月後の記憶が残っている。
リンタクに乗せられて、大手通の家に行った記憶である。
そこでは、「福ちゃん」という喫茶店をしていたが、一年もしないうちに
止め、衣料品店に転業をした。
そして2歳になった頃に、その店兼住宅を丸太を下にいれ、転がしながら、
近くの公会堂の前に引きずっていき、仮店舗を開きながら4F建のビルを建築した。
個人名義のビルは国内で始めてと市役所で言われたとか?その記憶が一つ一つ
記憶として残っている。人生を振り返って一番楽しい日々といえば、10歳までの
大手通のビルの立ち上げから、店の開店、そしてそこで起こった悲喜交々も日々。
本当に刺激的な日々だった。
ヾ(@⌒▽⌒@)ノ バイ
・・・・・・
6225,閑話小題 〜贋作の世界 −1
2018年03月30日(金)
「ピカソになりきった男 」ギィ・リブ (著),
* 贋作の世界
「開運!なんでも鑑定団」は常日頃、見ている。殆どが録画だが、骨董などの
お宝の真贋と、値段の鑑定である。 特に借金の形に…、持っているお宝と交換
などに贋作が多い。その贋作専門の世界を知りたくなり、AmazonのHP内で検索
すると、面白そうな本が幾つか出てきた。その中の一冊が、これ!
贋作の世界の奥行きの深さが垣間見られる。逆上せ上った素人が一番の餌食
になることが分かる。相手は詐欺のプロの住人。
〜ネットによる粗筋といえば〜
≪ 本書は、「その朝、俺はピカソだった」ではじまる天才贋作画家ギィ・リブ
の告白手記である。波乱に富んだ彼の生涯は、まるでアラン・ドロンが出てくる
フィルム・ノアールのようだ。贋作画家の前に「天才」との冠が付いたのは、
・ピカソ、ダリ、シャガール、マティス、ルノワール、フジタ等、多数の画家の
贋作を手掛けたこと、
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03月30日(月)
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