ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6434,定期的に、魂と心の話を… 〜1
その声が聞こえてきたとき、光であり命そのものの主が「現世に帰りなさい」
と言いました。
それは言葉ではなかったのですが、そう伝えられたのがわかりました。
そしてさらに、「現世に戻ったとき、いちばん大切なのは、知ることと愛する
こと、その二つだけが大切なのだ」というメッセージを私は受け取ったのです。
真夜中に突然、大きな音がして叩き起こされたシスターたちが見たのは、
寝巻き姿で階段の下にうずくまっている見知らぬ女性だった。 鈴木氏は、
それでも「大丈夫」と言いながらよろよろと立ち上がり、支えられながら
二階の部屋にあがったという。が、また気を失った。そして、上に述べられた
ような不思議な体験が彼女に起こったのは、救急車が到着するまで修道院の
二階のベッドで意識を失っていたあいだのことだったようだ。
至福感のただ中にいたときに聞こえた、少しつたない感じの「癒してください」
という声は、そのときベッドの周囲を囲んでいたなかにいた外国人シスターの
祈りの声だったらしいという。
幸い肋骨のひび程度で大怪我をまぬかれた鈴木氏は、事故後の静養中にさらに
次のような体験をしている。
階段から落ちた翌日は、運動会の次の日のように全身がズキズキ痛んでいました。
全体が大きな瞳れ物と化したようで、ベッドの上で寝返りを打つのも、つらい
状態でした。けれども、そんな肉体の痛みとは裏腹に、精神は高揚していて、
とても 気持ちがいいのです。
階段から落ちた前後の自分の行動の記憶はまったくないのに、あの不思議な
光に包まれた記憶は鮮やかに脳裏に焼きついていました。あのまばゆい光の余韻
や、悟りの境地にも似た研ぎ澄まされた感覚は、忘れようとしても忘れられない
ものでした。私は限りない至福感に満たされ、恍惚とした気分でベッドに横た
わっていました。 ようやく歩けるようにたった次の日、外の空気が吸いたく
なった私は、痛いからだをひきずって窓のところへ行きました。
窓を開けると、そこには秋の田園風景が広がっていました。
刈り入れを終えたあとの田圃がどこまでも続き、稲が束になって下がっています。
のどかな景色を眺めながら、自分が今、奈良郊外にいることをふと思い出しました。
すがすがしい稲の香りが胸の中に広がったとき、突然、大きな感動がからだを
貫きました。 稲や土、光や風、自然界のありとあらゆるもの、大宇宙のさまざま
なものがすベて、素晴らしい秩序の中にあって、それぞれが一つひとつの役割を
果たして調和している、そうして燃えている―─。
それは閃きに似た強烈な感動でした。大宇宙との一体感を、頭ではなく、
からだ全体で、魂の深みで悟ったような感じでした。目から鱗が落ちるどころ
ではありません。そのような至福の状態が三日間くらい続いたでしようか。
からだが治っていくにつれ、その高揚感も薄れ、やがて徐々に日常の平静な状態
に戻っていきました。
けれども、あの光に包まれる体験をしてから、まるで別次元の境地に達したよう
に、私の中ですべてが変 化していました。それまで悩んでいたいろんなことが、
とても小さく見え、いっせいに霧が晴れたように、私の人生はすがすがしく晴れ
渡っていました。そして、私の心の中には、ある言葉が、美しい鐘の音のように
響きわたっていました。
「大切なのは、知ることと愛すること。それだけが大切なのだ」
鈴木氏は、その後に彼女の身に起きた数々の不思議な出来事によって、あの光
との出会いの体験が、たんなる夢や幻覚ではなかったという確信を深めていく。
その第一は、この事故の5〜6年前から患っていた膠原病が、事故のあと完全に
治ってしまったということだ。
膠原病は原因不明の難病だ。彼女の症状は、急に寒さにあうと、からだ中が硬直
してしまうというものだった。血管の流れは滞り、手は死人のように真青になって、
ときにはからだに鉄の輪をはめられたような痛みで息もできないほどだったという。
長年苦しめられていたそんな膠原病が、すっかり治ってしまった。
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10月25日(木)
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