ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4827,金持ちとは、10億以上の純資産を持つ人
このフリー・ジャズ・スタイルは、コード(和音)による進行がないばかりか、小節の制約すら取り払われたものだ。
結果、メロディーやスウィング感も失われていく。 古典派からロマン派と続く中で美しいメロディーとハーモニーを奏でた
クラシックが、近代.現代に入って失われていったが、あえていえば、ジャズでも同じことが起こったといっていいだろう。
オーネット・コールマン以外では、テナーサックスのアルバート・アイラー(一九三六〜一九七〇)やアーチー・シェップ
(一九三七年〜)、ピアニストのセシル・テイラー(一九三〇〜)などが、こうしたプリー・ジャズの流れの中で語られる
アーティストである。「ジャイアント・ステップス一(五九年)、「マイ・フェバリット・シングス」(六〇)、
「至上の愛」(六四)というアルバムにより、ジャズ史上もっとも偉大なサックス奏者として、多大な影響を及ぼした
ジョン・コルトレーン(一九二六〜一九六七》も忘れてはならない。 「字数制限のためカット2012年6月2日」
・・・・・・・
3355, 人みな骨になるならば ー13
2010年06月02日(水)
* なぜドラマみたいでないのか
これがシビアで面白い。 自分はいうに及ばず兄姉などの人生を覗くと、決してドラマのような人生などない。
そこにあるのは夢も希望もないリアルの人生である。時にドラマみたいなのもあるが、それは喜劇か滑稽な悲劇である。
ー まずは Pー27から抜粋してみる ー
≪ 前から不思議に思っていることだが、われわれの実人生はどうしてこうもドラマみたいでないのだろう。
なぜ次々に恋愛や心ときめく出会いがないのだろう。これは容姿がいまひとつといった大多数の平均的な人にとって、
そうしたラヴ.アフェアエアは青年期にそれらしいものが二、三あれば御の字で平凡でみすぼらしいものである。
かりに大恋愛の末に大団円を迎えたにしても、そのあとに退屈な毎日がだらだら続くであろう。そのうちヒーローは歯周炎を病み、
ヒロインは亭王の前で平気で放屁をするようになる。もし現実の男女が数奇で劇的な大恋愛に陥っても、かれらの日常をずっと
カメラで追っていけば映画として最悪の作品になること必定である。洗顔歯磨きに十分もかけるし、風呂には二十分も入る。
くちゃくちゃ咀噌し、いきんで排泄する。最悪なのが睡眠で、数時間も横になったままである。絶世の美男美女が演じたとしても、
観客としてとても半時間以上はつきあいきれるものではない。そこで編集が必要になる。 だらだら続く日常性の部分をカットし、
しかも肝心のストーリーがつながるように見せ場だけは拾い上げていく。これを工夫すれば、われわれ凡人の一生であっても
一作や二作ぐらいはドラマ化できないものではない。 映画なら二時間前後にまとめないと観客の集中力を保てない。
ということは七十年の時間から二時間だけをピックアップするのである。しかし、実人生とかリアリティというのは
七十年のほうにあって二時間のほうにはないのである。 だから二時間にまとめられたドラマは作りものであり、退屈な散文的な
七十年のほうがリアリズムなのだ。 活劇や冒険となると、そもそも凡人が経験できないもの、いや経験したくもないものである。
現実の警部補だと担当できる殺人事件は数件か、せいぜい二、三十件どまりで、そのほとんどが単純な激情犯ゆえすぐつかまる。
しかるに小説やドラマの名探偵名刑事たちは数十から数百の殺人事件にでくわし、そのいずれもが奇々怪々な難事件なのである。
しかも、どういうわけか解決する。SFの宇宙船で事故や怪物にでくわさないものはない。フィクションだからしかたがないと言えば
そうなのだが、ノンフィクションやドキュメンタリーであっても編集してあるからには、実人生から遠いこと恋愛物と大同小異。≫
▼ 逆に「なぜドラマみたいでなければならないか」という問いが立つ。自分の人生を脚色して自分を納得したいのが人間の弱さ。
すべて仮想でしかないと冷めた目で周囲を振り返れば、ドラマも何もあったものではない。ドラマはつくりものだが、そっちの方が
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06月02日(月)
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