ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[393255hit]
■4826,「事業人生を決心して45年」の語り直しー5
* 金沢百万石での経験
H 千葉の新興住宅地のド真ん中の交差点で何か事業を立ち上げるに、実社会の経験不足は
まだまだ。 それと建設期限まで二年間半の期間があった。そこで、何処かで厳しい修行の場に
探し出したのが、当時、厳しい社員教育で知られていた「いとはん」という衣料チェーン店で、
北陸三県に10数軒を出店していた。
入社して知ったのが、西友との資本提携。そのため会社は大きく動揺している最中。
資本提携は、強者が弱者を生きたまま飲み込む残酷な実情であることを、当時の社長を含めた
役員はあまり理解してなかったようだった。
その上に、入社半年後にドルショックが起き、既存店の売上高が、大きく右下がりに落ちていき、
会社内は暗い空気に満ちていた。 ジャスコ在職の時は、合併先への新兵で乗り込む立場から、
今度は逆の立場の占領される側の一兵卒である。2〜3年後は辞めると分かっていても、プライドが
ボロボロ。その惨めさを、世のサラリーマンが、多く経験しているはず。貧すれば鈍するとは、よく
言ったもの。何がどうであれ、弱者の立場には立たないこと。
三年前の決断は、こういう経験があればこそ出来たこと。前向きで自ら崖っ淵に立つのは
構わないが、後ろ向きの踏んばりは、避けるべき!という体験を、早そうに知ることになった。
社内は役員の対立などあり、疑心暗鬼のルツボ。当時の「いとはん」にとってのブラックスワン
(思いもよらいない震災クラスの事件)が、入社半年後に起きた、ドルショックと、大手スーパーの進出。
私が去った一年後に西友との提携解除、その一年後に、ジャスコと提携し、北陸ジャスコに会社名が
変わり、その後、本体に吸収合併をされていった。
I 金沢は加賀百万石の城下町。その歴史の深い文化は、何ともいえないミニ京都風の味わいがある。
特に、目を見張るような加賀美人が多く、表向きは男社会。いっけん厳しそうな男女間は、大らか。
私の出身地の長岡藩では、幕末の「お妾禁止令」があって、二号を持つのは、長岡では後ろ指を
指される。しかし、金沢では、勲章を意味していた。 また居酒屋やスナックも、何ともいえない
味わいのある店が多く、料理の味付けは京都風。 鬱屈した会社内の空気から開放されるに丁度
良い環境でもあり、青春?真っ只中。しかし、一日、二時間の読書習慣は何とか維持をしていた。
J 入社後4ヶ月間の配送センターを経験後、、武蔵ヶ辻店の靴下売場のあと、子供服売場へと
配置された。 ジャスコも含めて、多くの売場配転から学んだことは、業種は、メーカー、問屋の
販売経路別の店先でしかないこと。それを業態別の再編成するのが、時の「流通革命」。
靴も、洋服も、卵の販売も、商品の一つでしかなく、とらわれる必要がないこと。
ここで、親しくさせて貰った取締役部長の何気ない一言「自己能力の限界の設定」が、
その後の事業立ち上げの教訓になっていた。 しかし、丁度なれてきた金沢の生活も、
入社の一年4ヶ月後に、突然、家からの一本の電話が入った。 ーつづく
・・・・・・
4459, 99・9%は仮説、ですか〜 ー1
2013年06月01日(土)
「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内 薫著
今さらだが、全てが夢幻で、思いこみでしかない。現に、事業を色いろ立ち上げ、40年近く経営。そして三羽の黒鳥の到来で、
この結末。思い込みを実行し、初めは上手くいったが、途中から、「思いの判断」が、「思い込みの判断」に変化、当然ながら
幕切れがあっ気なかった。しかも、その幕切れも、思っていたのと実際は違っていた。万一の備えを整えてあったこともあり、
何とか乗り越えた?が。創業と準備の苦しみからみれば、数分の一としか思えなかった。一つ間違えれば自殺に追い込まれる
イベントだが、腹を括り手順さえ踏めば全ては奪わないし、傍で見ていたほどではない。考えてみれば、‘99・9%が仮説’も
仮説である。世の中、すべて仮説の上に成り立っていると割り切っていた方が、面白い。
ーアマゾンの内容紹介ー
[5]続きを読む
06月01日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る