ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4739,<つまずき>の事典 〜 ー7
中世が終わると、キリスト教の影響から脱した反動から16世紀以降特に、素朴な信仰は色あせてくる。
その中で、バスカルは神への信仰を語っている。人間は卑小なものだが、その卑小さを知るがゆえに偉大であると。
彼は、「人間は考える葦である」という有名な言葉がある。「人間は一くきの葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものである。
だが、それは考える葦である」すべての人間は幸福を目指して行動をするが、最終的には「人間は死刑囚だ」と嘆き、
その不幸から逃れるためには来世の幸福を望むしかないと考える。遺稿に遺作の「パンセ」がある。
《パスカルの賭け》という断章がある。
「神は存在するか、しないか。きみはどちらに賭ける? ― いや、どちらかを選べということがまちがっている。
正しいのは賭けないことだ。 ― そう。 だが、賭けなければならない。君は船に乗り込んでいるのだから。」
すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。賭けないということ自体が、結果的に一つの選択となるからだ。
賭け金は自分の人生である。神が存在するという方に賭けたとしよう。勝てば君は永遠の生命と無限に続く喜びを得ることになる。
しかも、君の人生は意味あるものとなるだろう。賭けに負けたとしても、失うのものは何もない。反対に、神は存在しないという方に
賭けたとしよう。その場合、たとえ賭けに勝っても、君の儲けは現世の幸福だけである。死後は虚無とみなすわけだから、
そこで得るものは何もない。逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。来世の幸福をすべて失うことになるから。
▼ なるほど、理にかなっていると学生時代に「パンセ」を読んで納得したことがある。パスカルは、理性を根拠に神の存在を
証明したデカルトに反対する。有限な人間の理性では、無限な神を理解できない。神を理解できるのは「心」と、考えた。
彼が考えた神は「ヤコブの神」という。旧約聖書の登場人物たちの語りかけ、導いた神こそ本当の神とであり、デカルトの神は
「哲学者の神」にすぎないという。若いときの私にとって、非常に新鮮な感覚で、大きな影響を受けた一人である。
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2892, オーラをみたことがあるか?
2009年03月06日(金)
オーラを見たことがあるか?というと、殆どの人は見たことがないのでは? 一般的にオーラがかかっているというと、
「貴乃花を見たときに、オーラが見えた」という人は、弟子に前後5〜6人に囲まれて熱狂的なファンの間を歩いている姿の
全体のエネルギーの威圧感を言っている。「光の手」という本に、「人間の体にはエネルギーフィールドがあり、
7つのチャクラがある云々」とあった。それを一般的にオーラというのだろうが、実は私は一度だけオーラを見たことがある。
15年ほど前、母が痴呆症になった時に三年ほど毎朝、車で20分の長岡ニュータウンの丘陵公園に母親を連れて、
車椅子で誰も居ない広場の散歩道を歩いている時のこと。大きな広場を坂道をやっと上がりきった瞬間に前方から
朝の陽光が雲間から私たち二人を照らした。その時に車椅子の後ろから見た白髪の母に虹のようなものが
包みこんでいるのが見えたのである。 逆光が私の位置から母の白髪を通して見たため光の加減もあったのだろう。
早朝の誰も居ない坂道の幻想的背景もあってか、今も心に焼き付いている。その半年後に二番目の姉夫妻が千葉から母を訪ねてきた。
その時のオーラの話をしたところ、そこに行きたいという。そこで母と姉夫婦と私の4人で車でドライブがてら行ってみたところ、
そこで義兄が面白いことを言った。「私が学生時代に登山で似た体験をしたことがある。早朝の山頂で日の出をみていた時のこと。
自分の影が朝日に映し出された時に、その光景がオーラのように感じ取られ何とも不思議な感覚になった。
その感覚とソックリのような気がする」とのこと。自分のオーラを影の中で見たのだろう。これは経験した者でなければ分からないこと。
自分の感覚にはバクテリアの発生から進化を20億年以上かけてしてきた蓄積がある。それを何かの折に、底知れない何かを感じるのは
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03月06日(木)
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