ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[393484hit]

■4687, エッセイ力は人生力 ー2
生き抜くしかない。地勢的に日本は丁度よいところにある。 とすれば、現在の立場が一番よいことになるが・・・
 ・・・・・・・・
3205, 古町の衰退
 2010年01月13日(水)
 大和百貨店の撤退、書店の北光社の閉店と、新潟のダウンタウン古町の衰退が問題になっており、その連載が
地元紙・新潟日報一面で「古町 揺れる灯」として連載をされている。ダウンタウンの地盤沈下を今さらの問題だが。 
郊外には大型SCが多くでき、互いに凌ぎを削っている。更に、駅には駅中専門店街が次から次へとオープンしている。 
その中での衰退は当然である。 私事になるが、年に4〜5回行っていた古町には、去年は一度も行かなかった。
タクシーの往き帰りが勿体ないのと、不況の中、飲む回数も減っている。日報の記事は10回シリーズだが、何か哀愁に満ちた内容。 
スナックが酷いとは聞いていたが、15〜6年前に450軒あった飲食店が、現在は250軒になって日ごと客数が減っているという
スナックのママさんの悲鳴がインタビューであったが、この数ヶ月でも多くの店の閉店するはず。
 (字数制限のためカット、2012・01月13日)
・・・・・・・・
2009年01月13日(火)
NHKの日曜日大河ドラマ「天地人」で、若き直江兼継が修行した「雲頓庵」が舞台になっている。
雲頓庵を思い出しながらみているが、何度か隠れ屋的に通ったことが青春時代の一ページとして残っている。
特に当時、80歳半ばの怪僧の新井石龍禅師の思い出は鮮烈に残っている。
   以前、社内報で書いた部分を紹介してみる。
ーS63・05 新井石龍禅師に学んだ事 ー?
 学生時代に、父と禅師が親交があり、実家泊りに来ていただいた事等の因縁で、 六日町の禅寺“雲頓庵”に読書を兼ね
 春・夏休みになると滞在していた。度々なので自然と禅師と話をさせていただく機会があった。無知と若さの為に生意気な
 質問をした私に、いつも笑顔で答えてもらったことが、今では懐しい思い出。 京都大学哲学科卒で、気持ちは若い。
 女性で何度か失敗して、その世界では登りつめることが出来なかったと、両親から聞いたことがある。
  まだ鮮明に憶えている対話とは、
 (私)  −禅とは一言で言うと何ですか?
 (禅師) −字の通り天地宇宙に己の単(一人)である事を示す(気づく)事。  ー 示単
   社会に出て半年あまりで気負いすぎで早くも行き詰まり、五日間の夏休みでの雲頓庵の禅師との対話。
 (私)  −世間と理屈は違う。理屈どおりに世の中いかなという事がつくづくわかりました。
 (禅師) −あなたの理屈がおかしいだけ、世の中は厳しくも甘くもない。 世間も理屈もあるものか!
 (厳しく感じたのは自分自身そのものが甘いだけ)。後者の言葉には頭を真二ツにわられてしまった!というのが実感。 
  頭で物事を考えていた私が、“自分が”前に出ていた私が、その時点でたたきこわされ、
  社会人の一員に一歩踏み入った瞬間だったことを憶えている。
 ー以下は、当時の日記であるー
  ー1968年 雲頓庵    9月10日
 7時5分起床。 掃除に食事、9時半より11時半まで勉強! その後に、長岡の明治大学の1年の田村君と話す。 
3日まえにやはり勉強の為に来た男だ。夕食後7時半より、午前様と「神」について話す。 午前様「一という数字はあるが、
一という実体はない。それを一といえば一であるが、一でないといえば一でない。 一は万物であるともいえる」
「人間は実体だけでない、魂であり、永遠的なものである。全ては生き続けている。」
デカルトの「我思う、故に我あり」の言葉を引用された。
「誰もが神の要素を持っている、磨くかどかだ」「人間の見る聞くは5感6感の働きでしかない。
それを超えた存在はいくらでも存在する。それは修行によって初めて知る事ができる。」
「神が罰を与えるのは、困らせる為でなくそれにより、間違いを知らしめる為である。」
御前様と話していると自分の無知が露出されてくる。 明日は座禅を8時にくむ予定である。
  ー9月11日

[5]続きを読む

01月13日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る