ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4341, イタリア人と日本人、どっちがバカ?
この月末・月初の大きな倒産は無かったが、今年からは数年にわたり本格的な倒産が起こる。
失業率は十数パーセント、失業者が数百万〜一千万人という数字が踊る日々になると覚悟をしていた方がよい。
他人事ではない、全ての人が、ホボ全員が何らかの形で影響する異常事態である。昨年の10・11・12月の三ヶ月の日本の
GDPが昨年対比が11・4パーセント減とあったが、これは世界恐慌に入ったというサインである。
日曜日の夜にTVで派遣社員の厳しい現状をレポートしていた。人間にとって自分の仕事があることが基本。
それが無くなり、収入とストックが無くなると、気持ちが荒んでくる。 一度、ルートから離れると、二度と元には戻れないのが現実。 
先週の月曜日に録画をしていたNHKスペシャルの派遣の現状のレポートを昨日見たが、一つの派遣の仕事を椅子取りゲーム的に
狙う現実は、あまりに寒々しい。今週の週末の土・日のNHKの夜のゴールデンタイムに二日続けて、不況と失業の問題を放映するようだ。 
毎日暗い話しばかりで少しは楽しい話?をしろよ!だって? それなら・・  アメリカの金融崩壊と、日本の勝ち組と称してきた
連中の惨状を見ているだけで楽しくて楽しくて!大雪崩に巻き込まれて全てを失う可能性があるのは分かっていても、楽しい! 
(字数制限のためカット2012年2月3日)
・・・・・・・・・
2008年02月03日(日)
2496,  無くてはならぬもの ー?       YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
「無くてはならぬもの」 佐古純一郎著
  孤独に対峙する自己 −自分と他者との支柱ー
 P−114 人と人との間柄のなかで生きるという存在のありかたがこわれてくると、人間は人間でなくなるのである。
人と人との真実なる間柄、それを私は交わりと呼ぶが、交わりのなかで生きることこそが、実は人間の条件。人間形成とは、
この私が自己の内に自我を追求することではなくて、真実が形成されることである。それが人間の形がなるという意味である。
P−119  現代を生きる人間の悲劇は、孤独に耐えられなくなっていることではあるまいか。たとえば、読書という身近な
ことがらについて考えてみよう。 深夜、自分の部屋で、その静けさのなかで、独りしんみりと古典を読みながら人生を
思索するような生活の喜びを本当に見出しているだろうか。むしろ、そういう静かさの孤独の時間が、なにか恐ろしい、耐えられない
といった苛立ちがあなた方を捉えていないだろうか。デモに参加したり音楽喫茶で歌って解放感にひたる、そういう孤独からの脱出が、
大きな誘惑になる。孤独のなかの自分をほんとうにいとおしみ愛することができるような、人生を生きてほしい。
 P−126  私たちは極めて重要な問いの前に立たされているのである。人は孤独な存在であることを知るゆえに、
孤独を大切にしなければならない。が、孤独を大切にしながらも、孤立しないで、人と人との力強い連帯を
創造するというようなことが果たして可能かどうかである。・・・・
ドフトエスキーの「地下生活者の手記」に考察されたような、全世界が崩壊しようが、自分がいっぱいのお茶をすすめられたらいい、
というような、そういう個の尊厳が、私たちの実存の深みにひそんでいるのである。自分は自分であって、
絶対に代用品は使えないのだという、個の尊厳を一方において大切にしながら、しかも、私たちは他者との間に、
生き生きとした連帯をつくり出していかなければならないのだとしたら、それは極めて困難な課題の前に立たされることになる。
 ・・・・〜〜孤独に耐えられない自己が、群集の雑踏のなかに自己からの逃避をこころみて、しかもそこにも生の孤立化が厳しく
横たわっているとしたら、そして、そのような群集のざわめきに耐えられない生が、もう一度孤独の世界に帰っていこうとしたら、
それは徹底的な人間嫌いの底に沈んでいくしかあるまい。それは、やがて生そのものからの逃避として、私たちの生を自滅に追い込んで
いくかもしれない。そのような状況では、私生活の尊重というようなことすら、もはや意味を失ってしまうであろう。

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02月03日(日)
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