ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4158, 閑話小題 ーアイスキャンディー
  別の人生を 歩まなかったのはなぜか、ということを説明しようとしている」のである。
・第三に、私たちはそうした 因果関係の連鎖として語られる自分の人生に対して、「幸せな人生だった」とか
 「つらい人生だった」とか―実際の評価はもっと複雑であろうが、何らかの評価を下している。
  このように個人が自分の人生を回想的に語る(抽象し、説明し、評価する)
  とき、そこには「人生の物語」のパターンが 先行的に存在している。
  だからこそ私たちは、それほど苦労することなしに自分の人生を語ることができるのである。
   また「人生の物語」のパターンは、人生を回想的に語る場合だけではなく、
   これからの人生を どのように生きていこうかと考える場合にも役に立つ。
   子供は「人生の物語」と出会うことによって、「人生」に対して自覚的(目的論的)になる。
   日常生活を構成する諸々の活動が「人生」として 組織化されてゆくのだ。
「人生の物語」には四の類型に分けられる。 
 ・まずは努力と上昇を二大要素とする「成功の物語」 ・そして「幸運の物語」 
 ・「挫折の物語」 ・「堕落の物語」
    「幸運の物語」とは「努力せずに上昇する(棚からぼた餅)」 物語であり、
    「挫折の物語」とは「努力はしたが上昇できなかった」物語であり、
    「堕落の物語」 とは「努力せずに下降していく」物語である。
    「成功の物語」こそが近代社会における「人生の物語」の正本であり、
     他は正本の正統性を際立たせる ための異本である。
     とくに「堕落の物語」は反面教師として「成功の物語」とワンセットで取り上げられることが多い。
 ー以上である
  実際の人生の総括とは、混沌としたドブ沼からこれらの要素を探し出して、ドロ(成功・失敗・挫折・幸福)
  を抜き出していく作業である。成功とか、挫折とか、堕落とか、幸福とかは、二次的なものでしかない!  ーつづく
・・・・・・・・・
2005年08月14日(日)
1594, 犬の散歩
毎朝、ウォーキングをしていると、犬の散歩の人と行き会う。行き会う人の半数近い。何時も思うのは、犬と飼い主が似ていること。
特に年配の人と犬は、長年の付き合いのせいか、そっくり。顔つきや体型が似てしまうのは同じ環境にいるためだろう。
以前も、散歩の犬に関して少し書いたことがあるが、時代時代に犬の流行があるようだ。ハスキーが多い時期があったり、
ラブラトール・リトリーバーやゴールデン・リトリーバーだったり、最近はポメラニアンやミニチュア・ダックスフンドなどの
小型卓上犬が目立つ。実家では、必ず犬を飼っていた。そして、それぞれの犬の思い出が多くある。まぎれこんだり、拾ってきた犬で、
雄雌関係なく「コロ」という名前であった。しかし結婚をしてからは、家内が犬が大嫌いで「飼うこと相成らぬ」である。
もし人生に幾つか悔いが残るとしたら、その一つが「犬が飼えなかったこと」である? といって、いま現在では躊躇する。
そういえば、最近「雑種」をあまり見かけなくなった。どういうことだろう? 恐らく放し飼いが全く無くなって、
チャンス?が無いのだろう。ところで、雑種を三匹連れているオジサンが、いつも口笛をふきながら歩いているが、その口笛が
聞きほれるほど上手い。その三匹の犬、飼い主に似てか?すれ違う犬に大きく吠え掛かる。
口笛と犬の吠え声で、その存在がわかる。ところであるベストエッセイ集に「犬に似る」というエッセイが微笑ましい。
   そしてプロの文章はすばらしい。
最後の文章を抜粋してみる。
  ー犬に似るー 
 ついでだが、犬と飼い主はたいていの場合、そっくりである。ずんぐりした人はずんぐりした犬をつれているし、
短足胴長の犬の飼い主は短足で腹が太い。 それでは、いつの間にか名前が平仮名の「そら」に落ち着いたわが家の犬はどうか。
しばらく前まで、スマートで端正な犬だとうぬぼれていたが、このところ、目の青色は薄くなり、鼻の頭は白く乾いている。

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08月14日(火)
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