ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3162,人生に関する小題
「私の心は体の内側に存在する」、その主観である。そしてそれは客観としての世界もしくは他者とは関係しないか対立する、
という錯誤の世界像として定着する。したがって、「私の心に傷を与えるのは、世界もしくは他者である」。
トラウマ理論とは、あるいは主客二元の世界観に典型的な、短絡的解釈ではないだろうか。
幼少期に虐めを受けたから性格はこうなった、という遠い原因から、あなたにそういわれたから私は傷ついた、
という近い原因まで、そこに共通しているのは、「心の外」に、「傷の原因」を求められるという、
それ自体が一種病的な捉え方である。 なぜなら、「心」は身体のうちに存在していないからである。
「私」もまたこの身体ではないからだ。すると傷ついているのは誰なのか。それは「誰」の傷なのか。
したがって、私は私であり、私の心は私の身体の中にあるという錯誤の世界像を思い込んでいる人だけが、
各種のセラピーグッズやセラピーによって「癒される」。癒されたと思いこむことができる。
心の傷は外から与えられるものであり、その傷は外からの癒しによって癒されるものと思い込んでいるからだ。
おそらく、「本当の傷」を負った人々は、そのような単純な主客二元の処方せんでは治癒できず、
「本当」のかの問いに直面することになる。 すなわち傷ついているのは誰なのか。
−−−
心に外傷というのもオカシナモノだが、心が痛むというのはあって当然ではないか。
\(^▽^*)バイ!
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2005年12月01日(木)
1703, 政府系金融機関の統合
(~O~)ふぁ
政府系金融機関が三年後に統合されることになった。郵政民営化にともなう郵貯の出口の縮小処置である。
悪く言えば、中小金融機関への貢ぎもの(中小企業の債権)である。 ヽ(ヽ゜)ヒイィィィ!!!
思いきった人員整理も断行されるから、政府系金融機関の職員は仕事にはならない。統合は地方の切捨てでもある。(@_@;)
戦後60年、地方への過剰投資が目にあまったことも事実。 四国への三本の大橋の建設は、この象徴である。 (=_=;)
糖尿体質の現在の地方には過激な手術になるが、グローバルの時代に中途半端な体質変換では日本そのものが衰弱死をしてしまう。
(字数制限のためカット、09年12月01日)
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2004年12月01日(水)
1338, 「自分を活かす極意」ー 読書日記−2
ー自分のクセを技に変えるー
三色ペンの技法に次いで、この言葉が印象的である。 その文章を抜粋して考えてみる。
ーでは、ふつうに日常生活を営み、ある程度の年齢に達成した私たちには何を技にすればよいのだろうか。
私は究極的には「クセの技化」だと考えている。 武道や芸道ではクセを直して技を身につける。
しかし、年齢を重ねると、クセはほとんど直らないものである。
それを直そうとするよりも、それを芸にする、技化することを考えた方が現実的だと思うのだ。
それがクセなのか、技なのか、その分かれ目は全体に対してクリエーティブな働きをしているかどうかである。
その人のある種のクセが周りをクリエイティブにしていれば、それはもはや技化しているといえる。
たとえば「卑屈さ」さえも技化できる。卑屈さというのはそのままでは軽蔑の対象になるものだが、
タイミングよく下出に出ることがうまい人がいると、場全体が円滑に回ることがよくあるものである。
そう考えると、新たな技を身につけるより、一見ネガティブにみえるものを技化し、自分なりの
スタイルを確立するほうが、社会全体をトータルに見たときにクリエイティブといえよう。
画家にしても、二流の人にはスタイルがない。プロ野球の選手でも、スタイルは一流選手しか持っていない。
その典型がイチロウ選手である。彼のバッティングは完全にクセが技になっている。
このクセは、バッテングセンターで早い球を打つために、あの体全体をスライドさせる打ち方になったという。
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12月01日(火)
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