ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2992,転機を迎えた受験ビジネス
笑いについて、度々この随想日記で書いている。動物のなかで笑うことができるのは、人間だけである。
人間はちょっと工夫すれば、いつでも笑うことができるし、笑いの習慣化も可能である。
とくに、自分を笑うことができれば、その効果が倍増する。自分を深刻に考えている時ほど、
可笑しいことはない。深刻な出来事も10年も経ってしまえば、どうでもよい出来事でしかない。
いや、むしろ滑稽とさえ思える事だ。笑いは陽気な客観化をしてくれるし、自分自身の癒しになる。
また笑いは周囲の笑いを引き出すことができる。自分が笑っていれば周囲にも笑いが広がる。
笑いは神が与えてくれた最大の贈り物である。 私の場合以前にも書いたことがあるが、日曜日を笑いの日にしている。
特にTVのお笑い番組みを効率よく使っている。「新婚さん、いらっしゃい」 「笑点」「からくりTV]前日に録画した
「BS笑点」である。笑ってやろうと、待ち構えていると倍は笑える。笑うから、可笑しいということが実感できるのだ。
笑えば心が軽くなるし、消化もよくなる。同じ時間を過ごすなら、楽しい時間を過ごした方がよい。
とくに笑っている時間は人生で最も貴重な時間帯の一つである。
「笑え、笑え、もっと笑え!」笑ってさえいれば、肩に背負った重荷は半減をする。
すべての悩みは、いずれは時間が解決をしてくれる。どこの国でも「ジョーク」がある。日本では落語があったし、
川柳もあった。これは笑いを国民レベルで創作をしていたのだ。この随想日記にも「ジョーク」のコーナーがある。
最近は書き込みが少ないが。まあ一番の笑いは、いい歳をして「お笑い」を見て大笑いしている自分だろう。
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2003年06月14日(土)
801, 一期一会 「一語一会」?2
「一期一会」それは元来、お茶の世界のこころとして「すべての客を一生に一度の出会いとして、
悔いのないようにもてなしなさい」という意味である。 私が酒を人と飲む時に常に「一期一会」で飲むことにしている。
そうすると、飲み方が変わるのだ。ある会が面白かった、といってそれはそのTPOS がたまたま良かっただけと割り切るのだ。
一回ごと徹底的に割り切って飲む。店でもそうだ、一回こっきりと常に割り切って楽しむ。
そうすると酒の味も、その場の感じ方が全く違ってくる。
スナックなどでボトルを入れる人の気持も解らないでもはないが、私は絶対に入れない。
あまり飲み屋のママにはいい顔をされないが、明日から二度と来ないかもしれない、という緊張感が良いのだ。
そういえば一期一会の酒を数限りなく飲んできた。そして、その全てが思いで深い、よい酒であった。
桜と同じである。一回性だからこそよいのだ。年齢を重ねてくると、この意味が今更のように思い知らされる。
「べき時に、べく事を、べくすべし」を常に意識してことがよかった。これは酒席だけの事を言っているのではない。
言語学者の西江雅之のー「ことば」の課外授業ーという本に「ことば」はその場、その時、一回限りである、
という趣旨のことがあった。
ー以下に少し書きうつしてみるー
現実の場では、人はことばを二度と同じようには言えない。すべての発言は「一回限り」である。
たとえば「これは何ですか」と、同じ調子で二回言ったら、二回目はくどいと思われます。怒鳴っていったり、
これも当然違ってきます。また何か言う場合には、必ず前後関係があります。それによって嫌味になったり、
単なる質問でしかなかったり、・・・・・・・・・
以上のとおり、ことばも一期一会である。もじれば「一語一会」といえる。
その意味では「ことば」にもっと注意をして話さなければならなかったと反省している。
それと感銘した「ことば」こそ一語一会と言える。 その意味でー事業百訓というカタチで、
その時々に書き残してきたことも一語一会を記録してきた事になる。この随想日記もそういうことになる。
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2002年06月14日(金)
437,地球に気が満ちている
朝散歩をしていて、今までにない全身に気が満ちていて驚いた。何故だろうか、そうだサッカーのせいだ。
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06月14日(日)
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