ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2516, 人は何年先に標準を合わせるべきか?
人が褒めてくれない時は、自分で周囲に褒めてくれるように誘導さえする。
「私って若く見えるでしょう?」「あの人と自分はどっちが若く見える」
この場合明らかに自分の方が若く見える時のみいう。
その反面、自己認証が歪んだカタチとして貶しに入るケースがある。
私の嫌いな痴呆迷士と子狐に、このタイプが多い。
褒めるということは認証として、一番大事なことである。
しかし、認証はもっと深い意味の話である。前書きと要約を書きうつしてみる。
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「わたしを認めよ!」 洋泉社新書018
著者名 勢古浩爾
まずは「まえがき」の要約
ー我々は認められたがっているーもっと厳密にいうと「承認」されたいのだ。
「まじめでおとなしい」性格!、これは明らかに揶揄を含んだ否定の言葉である。
わたしには、「まじめでおとなしい」ことのどこが悪いのかまったくわからないが。
この言葉は自己証明にならないのだ。
根本的には、自分という存在を証明したいのだ。
人間は承認原則と証明原則の力学として読み解く事ができる。
ー内容
・人間は、「承認」を求めて生きている。自分という存在の意味が他人から否認されるとき、
人は絶望し、あるいは暴発する。
人は、自分の何をどのように認めてもらおうと欲しているのか。
狂おしいまでに「承認」を求める人間の心理構造とはいかなるものかを考察し、
現代日本における承認の実態を解き明かすとともに、最終的な承認である「自己承認」を
手に入れるための心のありようを探る内容である。
何より、「人間に必要なのは、自分の『価値』を『肯定』してもらうことではなく、
『意味』を『承認』してもらうことだ」と主張している。
ーそれでもわたしが生きる意味とはなにか?
ー感想ー
・社会的の承認をまずは求め、と同時に一般の承認ー世間の承認を求め、
世間も社会も、そんなものどうでもよいという 自分の魂の世界を求める
―わたしがわたしを認める世界を求める。
これが 「わたしを認めよ!」 の三層である。
これが人生の意味なのかもしれない。
こうして毎日随想日記を書いているのも、
潜在的に自己承認を求めているのだろう。
ただ自己承認を強要してくるやつがいるから始末が悪い。
自信がないからだ! ー つづく
・・・・・・・
002年02月23日(土)
340,ある時間の断片ー3
1968年9月2日 六日町 雲頓庵
朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。
食事の後、「流通革命」を後半100頁を読み終える。
そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。二浪とか「つらいだろう!」
13時から17時半まで「流通機構の話し」を読む。
中央公論の流通の切り取りも読む。 何か集中が足りない。
21時半に禅堂にいって座禅をくむが、何かごそごそという音がする。
こわごわ見ると猫みたいなのがいる。一瞬凍りつく!
よく見ると小さなイタチみたいだ。皆を呼びにいく。全員でそれを追いかけまわす。
逆に歯をむいてくる。とりあえず戸締りをして、次の日にする。
ーーーーーー
1968年9月3日
目が覚めるが時計が止まっていて何時かわからない。
本堂に行くと6時10分、顔をあらっていると、
住職が昨日の動物を退治しようと長い棒を持ってやってくる。
そして気合もろともその動物をたたき殺す!凄い気合だ。
よく見るとイタチでなくモモンガであった。
顔を見ると可愛い顔をしている。少し気の毒に思った。
昼飯後、住職とわれら3人組で裏山に茗荷を取りに行く。
それが結構面白い!かごで3杯とる。午後の勉強は3時になる。
急に将来のことを考えると、不安が押し寄せる。
相変わらず、読書のペースが遅い。
・・・・・
お笑い
[インデアンの娼館にで]☆☆☆
白人のある男がインデアンの娼館で若いインデアンの女を買った。
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02月23日(土)
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