ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2422, サブプライム問題 −2
生まれでたと同時に、多くの刷り込みが行なわれるが、
教養とは、それを乗りこえる為のパーツの総量ともいえる。
教養といえば、字のとおり「教え養われたもの」であるが、
それでは、「それが何のため?」といわれると、言葉に窮してしまう。

一流の職人が
「おれ中学しか出てないけど、大学を出ているのと、あまり変わらないと思うんだが?」
という素朴な言葉の中に、多くの問いかけと答えが含まれている。
現象が全てなのだから、それはそれで仕方がない。
彼は言葉の中に含まれる意味の世界とは全く無縁であるから、
目の見えない人に視覚が解らないのと同じことである。
しかし、その分他の感覚が研ぎ澄まされるようになったから、一流になれたのだ。

宇宙から見れば人間の存在などチリ以下、いや地球の存在自体チリ以下で
あることを考えれば、その知識の差、教養の差など些細なことでしかない。
しかし、せっかくこの世に生を受けたからは、この宇宙のこと、地球のこと、
自然のこと、人間のことなど、可能な限り知り体験することは大事なことだ。

人間という拘束された存在を自覚して、少なくとも刷り込みの拘束から
自由になることが最も重要である。
私が最も嫌っている、「教養のないオバちゃん」「小狐のような男」とは、
現象が全てと信じて疑わない世間という世界の住人をいう。
束縛されている自分に全く気が付いてない存在である。

人間である限り全ての人に、その要素が殆どを占めている。
それを、最小にしていくのが人間の一生の課題といってよい。
読み応えのある本であるが、この随想日記でシリーズで
哲学について書いたベースがあったので、興味を持って読むことが出来た。
しかし、刺激的な内容でもある。「飛岡健が哲学を書くと、こういう風なのか」
という視点を持てるのも、そのベースがあったためである。
教養は、積極的自由を得んがための知識の総量ということか!

ーーー
「哲学者たちは何を知りたかったの?」
  ―はたして、彼らは“答え”を見つけられたのかー
        (河出書房新社)飛岡 健【著】
ソクラテス、プラトン、カント、ニーチェ…。
“哲学者”とよばれる彼らは、つまるところ何に悩み、どう解決したのか?
その思索からいまを生きる我々が学ぶべきものとは?
「人と世の中の見え方」が一変するやさしくて刺激的な“知”の実践本。

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2003年11月21日(金)
961, 「いらっしゃませ〜!ぽんぽこぽん〜」

 昼は、毎日のように新潟の郊外に色いろなレストランやファーストフードに通っている。
 昨日はイタリヤン・レストラン、今日はお好み焼屋、その前は讃岐うどん屋、
 180円ラーメン屋などなど。 ダウンタウンの昔ながらの古い商売を、郊外型の
 レストラン方式にするのが流れのようである。
 その中で一番驚いたのは、讃岐うどんのカフェテラス方式の業態だ。

 今日、初めて郊外型の「お好み焼屋」に入って驚いてしまった。
 入ったと同時に『いらっしゃいませ〜!ぽんぽこ、ぽんぽこ、ぽんぽこぽん』である。
 中年が入るには、お客としてはミスマッチの店である。少し気が引けて?、入った瞬間、
『いらっしゃいませ!ぽんぽこぽん・・・』と、全員が山彦のように繰りかえすのだ。
 たったこれだけで、お客の心を掴んでしまうのだ。特に子供の心を掴まえてしまうだろう。
 こういうバカバカしい?のが大好きである。
 キャラクターの漫画がタヌキで、メニューなどに書いてあった。
 鉄板焼きということで『かちかち山のタヌキ』を連想させる為だろう。
 居酒屋で注文をした時、『喜んで!』と言われたとき以来の新鮮さである。
 何回か聞き慣れてしまえば、奇異でなくなってくるのが不思議だ。
 お好み焼屋は開店をして、まだ一週間だった。

 長岡の郊外で数店見かけたが、如何してこんな店が郊外に存在をしているか不思議であった。
 しかし考えてみれば家族客にとって気楽に入れる店である。
 12時過ぎであったが、私たちを除いて全員ヤングママで、満席であった。

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11月21日(水)
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