ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1970.事業百訓・・・G
それをダンスとしてリズムをとりながらパターンをマスターし、
かつ楽しみまで高めてドアに向かう事となると誰にでもできない。
ついついドアを忘れたり、ダンスを忘れてしまう。
ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。
そしてその反対に逆の人も。


H0609
至福の時

 母が八十六才になり、年相応?の初期の痴呆症があらわれて三年、
年を重ねるという事は大変な事と思いしらされる。
痴呆とは脳の回線が時々はずれたり、夢の世界に入りこみ、
現実との境界がつかなくなったり昼夜の別がつかなくなったりする。

はじめは周囲の私達の気が動転、本人の症状にふりまわされたが、
今ではほとんど、それぞれの現象にそれぞれの原因がわかるようになり、
あまり動じなくなった。(それには二年以上経過したが)
しかし回線がはずれている時は、なれている私達でも背スジがゾーッと
する事がある。

本人にも喜怒哀楽はあるし、外部環境の把握をそれなりにしてある。
夜半の半錯乱の翌朝、すべてを忘れている本人にその話をすると
“それでは私はどうしたらよいのか?”と逆に聞かれて返事に窮する事もあった。
この春より母を早朝、公園へ一時間位リハビリも含めてドライブ+散歩に行くが、
誰一人いない公園で母と二人いると幽界か霊界にいるような気になる事がある。
また、その時の母のうれしそうな顔をみると、
この時が人生の“至福の時”かもと感じられる。


H0609
ゲームと人生

 ハーバード著の“思考の原理”という書物の、
「人生ゲーム化」という内容が面白く印象に残った。
要旨は
“ゲームとは、
目標を設定し、
そこに障害と自由を与えて、
互いに(あるいは自分自身)競わせる。
重要なのは障害である。
自由配慮の中で障害をのりこえさせて、目標に到達させる。
この三つのバランスをとりながら競争するのがゲームである。

人生をこのゲームにたとえると、人生の障害も自由そのものも
余裕を持って客観視ができるし、楽しむ事ができる”という内容であった。
人生をゲームにたとえると妙味が違ってくるように思える。
人生にとってのその人の目標は、つきつめて考えると、
その人の精神とも考えられる。
その達成において当然目標が大きければ大きいほど障害が大きく、
多くなるし自由度合も大きく、多くなってくる。
その障害を楽しんでとり組む自由な心
(とらわれない視野が“自由”というのかも)
こそ人生のゲーム化といえる。


H0609
ケニア・サファリ紀行(U) 

@ 国立公園よりナイロビへの帰り道(雨あがりの泥々のいなか道)を
 命がけで四時間、つきぬけた、その時の赤茶色の大地と緑の森の
 コントラストのすばらしさと、
 数十km先までみえた広大な地平線も生まれて初めて見る光景だった。
 そして小学校の近くを走っている時みた、
 子供達のあどけない愛嬌のある目と顔も忘れる事ができない。
A 野生動物も、今まで動物園でみたのと全く違うものだった。
 毛色の光沢、目のかがやき、悠然たる動きが、あの大地を背景として
 自然と一体となり絵になっているのだ
B早朝の牧場の乗馬もよかった。
 新鮮な空気と草の臭い!
 その帰りの車で、前方に10人あまりの若い男達が必死な形相で走っている。
 その後を、一頭のバッファローが追かけている。我々の車が間に入って
 その場は収まったが・・。離れバッファローは非常に危険だとか!
C気球より見たアフリカの広大な草原。
 下を見るとシマウマの群、他に目を向けると、気球に驚いて逃げている
 二頭のライオン。そして、気球を降りての食事。
 乗客三人に対して、10人のスタッフ。そして一応、機長もいる。
 360度の展望の中での食事が、格別美味しい。
D掘っ立て小屋のイメージだったロッジが、
 実際は高級ホテルであった。
 食事も高級レストラン並。
 夜半聞こえてくる不気味なハイエナの声!


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08月25日(金)
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