ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6546,閑話小題 〜地元長岡は、底知れぬ不景気感が…
のが、目の前にたてた一本の指の幅2cmだけ。人間とはそんなもの。
その一つが、「不思議なドアの実験」
<仕掛け人の「よそ者」に、大学を歩いている学生に道を尋ねるように指示。
この実験にはヒネリがはいっていて、よそ者と学生の間を、ドアを運ぶ二人
の学生が割って入る。その時、ドアを運ぶ1人が「よそ者」と入れ替わる。
ドアを通り過ぎた時には別人の男は素知らぬ顔で話しを続けるが、歩行者は、
そのことに気づいたか?という実験。 実は気づかない方が多かった。
気づいたのは15人にうち7人だけだった。>
信じられない結果だが、気付いた7人は、ほぼ同年代の人だったという。
TVのお笑いで、SC内のモールで、同じ設定で違う人と入れ替わり、その驚きの
反応をみて笑いをとるの場面を見たことがある。 それだめでない、
<厳しいはずの運輸安全局の潜入調査によると、飛行機に乗客の拳銃検査で、
4丁に1丁の割で、手荷物に隠した爆弾と、材料の60%が見落とされた。>
彼らエキスパートですら見落とすのだから、私たちは何おかいわんや。>
初回にみる映画より、二度目の方が、画面を冷静にみるため、新鮮に思える
経験が誰にでもある。映画館を出たと同時に、全てが忘却の彼方。
本も新聞も雑誌なら、尚のこと。で、こうして書き残し、毎年、読み返す。
「見てなくとも、見ている気になっているのが、凡庸な我々、問題は自覚が
出来ているかどうか。少ないほどゾンビ人間に陥っていく。要するに世間様!
・・・・・・
5085,真の友人 ー楽しく生きる一日一話 〜�
2015年02月15日(日)
* 真の友人 【本日「いいかげん」日和 】ひろさちや (著)
私に真の友人がいただろうか? 学生時代からの友人が存在するし、
仕事での付合いから、気心が知れた人が何人かいる。そういう人は、年に
一度か、数年に一度しか会わないが、それで十分。この随想日記は、一方的
に、友人にトッテオキの情報を知らせる感覚で書いている。 その意味で、
ビュアーは私と会っていると同じ? しかし残念ながら、知人で同じ感覚で
ブログを書いている人はいない。今ではソーシャル・ネットワークもあるが、
何か参加する気になれない。 ー以下のドイツ人の友人観に同感するー
≪ ある日本人がドイツ人に尋ねられた。
「あなたに友人はどれくらいいますか」
日本人は、『さあ、百人か二百人くらい……」と答えたが、
それを聞いてドイツ人は驚いたという。
ドイツでは、その人のために自分を犠牲にできる人
――自分が何も言わなくても、自分をわかってくれる人――
この二つの条件が満たされて、はじめて「友人」と言えるそうだ。
だとすれば、百人も二百人も友人がいるわけがない。
ドイツ人が驚くのも無理はない。
わたしたち日本人は、いささか「友人」を安売りしているのではないか…。
簡単に友人ができる、友人をつくれる、と思い込んでいる。
だから、自分に友人がいないとさびしくなる。
しかし、真の「友人」というものは、一生に一人得られるか否か、
といった存在なのだ。そう考えると、いま自分に「友人」がいなくても
悲しむ必要はない。これから死ぬまでのあいだに、真の「友人」に
めぐりあえぱいいからである。きっとチャンスはあるであろう。 ≫
▼ 以前、トーク番組で、『私には友人がいません!』といってのけ、
周囲が一瞬、静寂になった、のが印象的だった。これを公然と言放つには
強さが必要である。20歳時に、両親の後姿から、創業を決意した時から、
自ら友情を求めない孤独業、一種の自閉症になっていた。といえ、友人は
存在していたが。 創業を決意して見えるのは、自分の卑小、無能だけ。
しかし、今さら後には退けない袋小路で、その都度、友人ができていった。
・・・・・
3613, 旅ばなし 小題
2011年02月15日(火)
* マッターホルンの登山ツアー
先日、BS/TVでマッターホルン山頂の登山ツアーを放映していた。
それもNHKの女性ディレクターが、それにチャレンジをする内容。
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02月15日(金)
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