ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[393265hit]

■4831,「事業人生を決心して45年」の語り直しー9
≪ 科学の発展は、おそらく一つの答えを用意したと思われる。つまり人間は生物であり、
だからこそ本能が、 正確に言えば遺伝子が、「生きるように」「殖やすように」そして「死ぬように」
命じているという考えである。生物は遺伝子によってマッピングされて出来上がっている。
遺伝子は自らが生き残るために様々な戦略を取る。別の遺伝子と組み合わさって、さらに優れた
遺伝子となるのもその一つの戦略である。そのためには、生物に交配してもらわねばならない。
だから遺伝子によって形作られた本能に従い、生物は交配し、子孫を残し、種を繁栄・存続する
ように「なっている」のである。 要するに、生きるとは、遺伝子の命じるままに従い、
結果として「その種の繁栄のために動く」あるいは「その種の繁栄のために動かされること」なのである。
遺伝子を残し、遺伝子をより良いものにして、その遺伝子が長く存続できるようにすることが遺伝子の
欲求であり、それが本能に刷り込まれている。 だから皆、相手を求め、おまけとして快楽が付いて
来る交配を行い、危険を冒して子供を産み、子供が一人で生きられるまでは惜しみない愛情を注ぐ。
それはすべて、「人類という種を生き長らえさせる(人類の遺伝子を残し続ける)」ためなのである。
 この考えによると、死が到来するのも理解できる。まず交配が行われて新しい個体ができれば、
親の遺伝子は子に受け継がれる。しかも遺伝子の容れ物(肉体)も新しくなっているし、遺伝子の
組み合わせによってより優秀な個体が生まれているかもしれない。
そうすれば少なくとも「自分の遺伝子を残す」という目的を、遺伝子は果たしたことになる。
つまり古い遺伝子や容れ物は要らなくなる。だから、多くの動物は生殖期後、長い時間を生きずに
死んでしまう。生殖という非常に大事な役目を終えてしまった以上、もう他に大きな役割はないので
ある。次に、もし「死」が訪れなければ、限られた空間に、個体は限度を超えて殖えてしまうであろう。
そうすれば、結局その生物の相当数は淘汰されなければならない。 ≫
 ▼ 死ぬのは自然の摂理、それに従うしかない。その時になり慌てふためくが、諦めきれないのが
知識を持った私たち。「余命半年!」と宣言された時の衝撃は、計り知れない。昼の間は、まだよいが、
独り夜半に目が覚めて、その恐怖との 闘いは生き地獄だろう。死ぬのが怖いが、余命半年と
悟った時から死ぬまでの苦痛が恐ろしい。だから準備が必要になる。
・・・・・・
4090, 老いの見本帳ーダークサイト −10
2012年6月6日(水)
   * 老いを受け入れる     「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 60歳前後に初老性鬱病の人になる人が多い。人生に充実感が無く、未練や不満が渦巻いて恨みの気持ちが、世の中から落伍した
感情として被害者意識が生まれる。それが定年などで独りで判断しなければならなくなると、異様な自己中心的いじましい行為が現れ出る。
それは「尊厳を保った肯定的老人」とは程遠い姿である。次の文章は、高度成長期を竜宮城と見立てた団塊世代を浦島とみるとよい。
≪ 【浜辺の煙】 浦島太郎の昔話は、なかなか不気味な物語である。竜宮城における快楽の日々はともかくとして、浜辺に戻ってきたら
様子がおかしい。家々の停まいも景色も微妙に変わり、知っている人は誰もいない。わずか数日を竜宮城で過ごしただけだった筈なのに、
驚くほどの年月が故郷では経過していた。太郎はすっかり世の流れに取り残され、強烈な違和感と孤独感とを味わうことになる。
さらに二段構えの不幸として、玉手箱の煙で太郎は老いさらばえてしまうわけである。 故郷へ帰った浦島太郎を、現代における「老い」の
アナロジーとしてみるとどうであろうか。孤独死だとか家族の崩壊、地縁血縁の希薄化といった問題はあるいっぽう、今や「老い方」を
知らない世代が雪崩を打って老いに突入しようとしている。エレガントな、ナチュラルな、さりげない老いの作法や見当すらつかないものの、

[5]続きを読む

06月06日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る