ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4832,「事業人生を決心して45年」の語り直しー10
   * 千葉・千城台ビル建設計画の着手
 懐かしの金沢から地元長岡に帰って、余命一年の父と千葉の千城台ビルの建設計画に入る。
当時、父親は義兄に、会社経営の大方の権限委譲をしていたが社長のままだった。 右上がりの
時代に、長岡も高度成長の恩恵で活況。その中で、華やかな地元社交界の花形の姉夫婦に、父は
幻滅をしていた。まず、出を制して入りを図る生活基本がない上に、城下町の虚構世界が全てと
信じているようだった。 実家の同じ屋敷の前に自宅、その裏に姉夫婦が移り住んで8年ほど
経っていた。現在、私が住んでいる家は、50年前に父が最期の住み家と、贅をこらしたもの。
 父は、現・預金を除いた、会社の株式、本店ビルなど不動産の生前贈与をして、死後の相続を
姉夫婦に独占されない手はずをうっていた。当時で月に百万円の散財をしていたから、現在にすれば
月に5〜6百万。父が怒り、警戒するのも頷けた。 逆に、生前贈与に対して、姉夫婦には、母、
実兄、私、姉、の4分の1だけの配分に怒り心頭だったのもみてとれた。それが、父の死後の
御家騒動の根になっていた。3歳年上の実兄は、性格が大人しいく、人を疑うこともなく、私が
計画に入った時点で、対立軸が、私対姉夫婦に移っていた。
 創業を目指していた私には、具体的実践課題を与えられたことになり、その成果が試されることに
なった。 これが大変だが、創業の第一歩として、命懸けのコーチ役の父親が指導する小説のような
日々になっていた。 
千葉の新興住宅地の商業地で、商業ビル建設と、その一角での商売のたちあげて、
成功させるのが、当面の課題。  まず考えたのが、この千城台のような団地の商業ビルの
転がしである。都心からの新しい電車の線路沿いに、千葉県住宅供給公社などが開発する安い
商業地を先行投資をして、ミニ商業ビルを建てて、テナントを埋めた段階で、資産家に転売する
事業を、思い立てた。まず千城台ビルをモデルケースとして、これが第一歩と位置づけ、
踏み出すことにした。 学生時代に、創業人生を踏み出そうと決心したとき、創業と、軌道に
乗せての転売が、事業として面白そうと、イメージをしていた。 これなら、合致をする。 
 その計画と、ビル建設をしていた最中、父親が亡くなってしまった。その間に父と兄夫婦の
軋轢が出始めていた。しかし、千城台ビルの立ち上げと、ビルをテナントで埋まることと、
その一角の自らの商売の起業が、当面の大きな課題になっていた。 
ー以下も、偶然だが、13年前の同月同日の内容。これを見て、奇妙な偶然に驚いている。
・・・・・
2001年06月07日(木)
[45] 創業の話
27歳、千葉の千城台で千城ビル建設と養老の滝1122号店の立上げをやった。
準備1年4カ月かかった。その間に一緒に計画に携わった父も亡くなった。
今も忘れられない1973年5月30日であった。
11月07日、店の立上げとビルの完成でパニックの頂点をむかえた。 地獄!・・・・・
その頃写真を撮っているいる余裕などない、写真日記のそれは千城台を引き揚げたあと、
懐かしく行った時に撮った写真である。全く知らない千葉で我ながらよくやったと思う。
この地獄の中で創業のノウハウしっかり身につけることができたと思う。
自らを空にして、おきて来た問題を一つずつ解決していくしかない。
その時本能的に相手に両手で拝んでいた。
どういうわけか拝まれると人間引き受けてくれるものだと感じた事を憶えている。
軽い気持ちで拝むポーズを時々みると,張りたおしたくなるのそのせいだ。
当時のことを記した文章があるのでコピーをしておく。
また写真も写真日記にコピーしておきます。
ーーーーーーー
H0907 養老の瀧1122号店、店長の日々

 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりであったが、
いざ自分がその立場に立って、その認識の甘さをつくづく思い知らされた。
千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”と“養老の瀧オ−プン”と
“結婚”という、人生の初体験を同時に始めた。
丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、

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06月07日(土)
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