ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4830,「事業人生を決心して45年」の語り直しー8
 世の中が認めてくれるかどうかはさて置き、年寄りというキャラクターを、役割を、もっと意識してみてはどうなのか。そのキャラクターが
現今においては「カッコ悪い」といった了解があるから、年寄りであることを皆が演じたがらない。若く見える意外性ばかりを狙いたがる。
 団塊の世代がこれから老人へと突入していく。どのような老人像を頭の隅に思い描きつつ年寄りになっていくのか。ジーンズやTシャツが
少なくとも外見的に旧来の老人とは違ったイメージをもたらすだろうし、家族のあり方も変化してきているのだから、過去の年寄りの姿が
そのまま手本にはなるまい。還暦に赤烏帽子と赤いちゃんちゃんこを贈られていた頃とは時代が違う。≫
 ▼「あえて自分らしい年寄りを演じてみることで、配役として全うしてみることを楽しんでみればベスト、人生など所詮は
  座興に過ぎないのだから」という著者の言葉が説得力がある。清濁併せ飲む老人を演じるのも面白いが・・・どうも、クソ真面目は?
  年寄りは、目立たないことだ。団塊の世代の年寄が、目立ち始めてきた。だから海外旅行者の数が不景気にかかわらず減らない。
  彼らは「皆んなで渡れば怖くない世代」である。兄弟、友人も皆んな年寄りになっていくため、無力感や孤独感は少なくて済む。
 ・・・・・・・
3723, ジャズについて −15
2011年06月05日(日)
   * 日本のジャズはどうなっている ?  ー 「音楽の本」三枝成彰著 より 
【 二十世紀初頭にアメリカに生まれたジャズが日本に入ってきたのは、明治から大正に入り、第一次世界大戦が勃発した頃だ。
 当時は社交ダンスが華やかなりし時期で、ダンス音楽として輸入されたのである。 一九三〇年代にもなると、東京を中心に
 ダンス・ホールがお目見えし、日本人によるバンド演奏も行なわれるなど、第一次ジャズ・ブームが起こる。わが国最初の本格的な
 ジャズメンとの評価を得るトランペッター南里文雄が活躍を始めたのも、そんな時代である。しかし、ジャズが本当に日本に
 もたらされたのは、第二次世界大戦後の進駐軍占領時代といっていいだろう。それというのも、戦争が激しくなる一九四〇年前後には、
 ジャズメンの主な活躍の場であったダンス・ホールは閉鎖され、やがては「敵性音楽」との理由から演奏そのものが禁止されるなど、
 ジャズの空白期間に入るからである。戦後のジャズ。それは、進駐軍として駐留する兵隊の娯楽として、NHKがジャズなどアメリカの
 ポピュラー音楽を放送したことを直接のきっかけとする。やがては慰安のため進駐軍のキャンプを巡ってジャズを演奏する日本人も出現。
  同時に、日本人の心もとらえ、五〇年代に入ってルイ・アームストロングやベニー・グッドマン、デューク・エリントンなど本場の
 巨匠たちが来日するにいたって、第二次ブームとも呼ぶべき様相を呈したのである。もちろん・進駐軍とともにもたらされたジャズは、
 アメリカと同じようなスタイルの変遷を経ながらも日本にすっかり定着していき、一方、日本の流行歌にも大きな影響力を及ぼすのである。
  そんな日本のジャズで活躍した多くのプレイヤーの代表をあげるとすれば、サックスの松本英彦や渡辺貞夫、トランペットの日野皓正、
 ピアノの秋吉敏子、菊池雅章、山下洋輔らになるだろう。なかでも日野晧正や菊池雅章、秋吉敏子といった面々は、ジャズの本場
 アメリカを拠点に活躍。日本におけるジャズも、本場がそうであるように、八○年代以降やや沈滞気味だが、そもそもは輸入された
 音楽であるジャズの世界でも、世界に通用するアーティストを輩出していることだけは忘れてはならない。 】
  ▼ 私が学生時代に、TV番組でジャズが多く流れていた。それだけでない、カントリーにウエスタン、ブルースにロックと、
   当時はアメリカに如何に同化するかが、大きなバロメーターのところがあった。現在も、その傾向が残ってはいるが。
   地方出身の学生であった私も、何の抵抗もなく、アメリカナイズされていった。それから考えれば今さら何がジャズか、になる。

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06月05日(木)
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