ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4818,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー1
 真理を追究しなくてはならない。他者が嫌がることでも、問いかけを行わなければならない。 この対話、営みは「パレーシア」
 (真実を語ること)と呼ばれている。彼の対話術は、自らの主張を他者に受け入れてもらうための技術ではなく、「相手に問いかけること」
 そして相手の主張を「聞くこと」に主眼があった。そもそもこの「無知の知」の重要性は、この「聞くこと」のための手法にあった。
 何かを知っているから語るのではなく、何も知らないから、分かってないからこそ、相手から引き出そうとする。 パレーシアの原点は、
 そこにある。それゆえ、その原点は、密接な一対一の関係が必要である。この対話は、自分が主役として振舞うのでなく、相手の話を
 引き出すように行われる。それゆえ相手はソクラテスに導かれながら自分について語ることになる。重要なのは、自分が語ることができる
 「ロゴス」(論法と言葉)が、自分の生き方と確固たるつながりがあることなのである。 ・・・  ≫
  ▼ 「吟味されることのない人生など生きるに値しない」というソクラテスの言葉が好きである。要は、味わい尽くしてこそ人生である。
    対話は他者だけでない、自分の経験に対してもおこなうべきである。 そのため老後という期間が人生に与えられている。
   老後を如何に過ごすか?と問われれば、「それまで人生に対しての自己問答を通して、魂に磨きをかけること」が答えになる。
   それは死を間近にした真剣勝負である。だから面白いのである。魂に磨きをかけるとは、そう甘いものではない。
  ・・・・・・・
3711, ジャズについて −6
2011年05月24日(火)
                    ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
    ー1935年、2ビートから 4ビートへ ー「スウィング」の時代    ー P・192
  * 「スウィング・スタイル」の立役者ぺニー・グッドマン
【 デューク・エリントンに、「スウィングしなけりゃ意味がない」という、よく知られたタイトルの曲がある。
 一九二九年の金融恐慌に始まった大不況がようやく回復の兆しを見せてきた三五年頃、ジャズの中心地となっていたニューヨークでは、
スウィング・スタイルのジャズの時代を迎える。スウイング・スタイルのジャズとは、ビッグ・バンドによる躍動感あふれるダンスの
ためのジャズといってもいいだろう。ジャズのリズム的特徴の4ビートにある。従来の2ビートから4ビートに移行したのも、
このスウィング・スタイルの特徴であり、心地よい揺れるような感じ(スイング感)がこれによって生まれた。
 立役者は白人のペニー・グッドマン(一九〇九〜一九八六)。彼は、一九三四年に不況のあおりで自分のバンドを解散せざるを
えなかったフレッチャー・ヘンダーソンから、そのビッグ・バンド・スタイルの編曲を丸ごと"買い受け"たのである。
そしてそれに洗練を加えることによってダンス音楽としてのジャズに新たな味わいをもたらした。
 そもそもジャズは、誕生当時からダンスホールやクラブで演奏されることが多かったように、ダンス音楽の側面を持っていた。
ジャズが鑑賞のための音楽になるのは、その後のことである。
 グッドマンは、より速いテンポ、短いフレーズの繰り返し、軽快で歯切れのよいタッチの演奏で、それをスウィツグ・ジャズ・スタイル
として確立させたのである。グッドマンのあとには、トミー・ドーシー楽団やグレン・ミラー楽団といった白人ビッグ・バンドが続いた。`
 やがてこのスウィング・スタイルでのコンポ(八人くらいまでの小編成楽団)も人気を集めた。彼らはニューヨークの五二番街に
集中していた小ぶりなクラブでもっぱら演奏したので、五二番街は「スウィング・ストリート」と呼ばれた。
 スウィングを担ったジャズメンは白人が多かったものの、だからといって、ジャズが「黒人による不良・ぽいワイルドな音楽」から
「白人による健全でスTト書楽」へと変質したわけではない。むしろ、スウィングから次のビバツプの時代を経て、ジャズが
黒人だけの音楽から、白人を含む音楽へと広がりを持ったと認識すべきであろう。】

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05月24日(土)
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