ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[393278hit]
■4815,尊厳死は必要か ー1
と著者は言う。それがこの症例の複雑さと奇妙さとを物語っている。本書は、現代社会においても、妖怪と出会うといったような
「非日常」的な現象が、たちあらわれる瞬間があることを示唆する。 精神科医が語っているだけに、いっそう説得力がある。
▼ ある亡くなった友人の奥さんが数年前、急に事務所に訪ねてきて、世間話の後に何気なく、「最近、家に侵入者が時々入ってくるが、
生前、主人が何か言ってませんでしたか」と言う。「侵入者とはとんでもないこと、どういうことですか?」と吃驚して聞きなおすと、
「自宅の屋根裏に侵入者がいて、彼方此方、徘徊している。」という。 よくよく聞いた後、「貴女は魔界に一歩踏み込んだようですね。
ご主人からは、それについて聞いたことはありません。」と答えた。警察に相談して屋根裏を調べてもらった時の写真を何枚か出して、
「私には、侵入者が見えるが,貴方は見えませんか」という。 私には全く見えなかったが、その辺から、何か精神的に追い詰められている
のだろうと思い始めた。その後、ご主人と共通の複数の知人から彼女の同様の話を聞かされた。本人には、実際に屋根裏に何かが
いるのだろう。彼女は初老で、独り暮らしである。佐藤愛子が、似たような現象を経験している。それと同じかどうか私には分からない・・・
・・・・・・・
3708, 自己を見つめる −24
2011年05月21日(土)
ー 他者について 〜� ー ーP194 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
【 幼児は、他者が素敵な玩具をもっていると、自分もそれをもっていなければならないとすぐに決め込み、それでいて自分には
その玩具がないところから、その他者を激しく嫉妬することになる。 こうして、一般に、大人になってからも、人間は、他者とか
世の中とか世間からの影響を色濃く帯び、ときにはそれに飲み込まれてしまって、その水準で自分を裁断し、ほんとうの自分の姿を見失い、
自己喪失の状態に陥ってしまう。 また、自分の不幸や不満の原因を、他者のせいとして責任を転嫁し、自分がひどい目に遭った原因を、
ともすれば世の中に押しつけ、他者攻撃に生きる傾向に人は陥りやすくなる。したがって、本来そうであるぺきなように、自己でありつつ、
他者とともにあるという、二重性ないし両義性をほんとうに生きることは、人間にはきわめて困難になるのである。
東洋ふうの言い方をすれば、「和して同ぜず」という、自他の自由な自律性と、連帯性ないし他者容認とが、過不足なく、
円滑に両立してこそ、自他の関係は充足されうるのだが、それがきわめて困難になるのである。
ニーチェは、自他の関係において、ルサンチンマン(怨恨感情)という恐ろしい感情が胚胎する機微を鋭く抉り出した。
他者の不当な振る舞いに直ぐに反発できずに、じっと我慢する人間のうちに、やがて次第に欝積してくる不満の感情のことを指す。
それは、恐ろしい怨恨感情となって、やがてさまざまな形で爆発してきて、自虐と他虐の凄惨な凶行さえも生み出す原因となる。
しかし、ニーチェにょれぱ、そうしたルサンチマンの人は、他律的なのである。つまり、怨恨感情は、他者に囚われ、他者からの
傷跡に執着し、こうして、他者への遺恨を募らせ、やがて復讐心の形を取って、自虐と他虐に向けて爆発する。
そこでは、自己自身の本来性が見失おれている。しかし、自己は、ときに、自己自身を見失って、他者になりきってしまうことも
あるものである。しかもそれは、人間的他者に関してだけ起こることではなく、事物に関しても起こる。 たとえば、私がすっかり
花に見惚れたときには、花が私になりきってしまうのである。それと同じ意味で、私たちは、自己自身を見失い、ついには、
さまざまな主義主張の虜になったり、迷信や邪教に取りつかれたり、神憑りになったり、あるいは、変身願望に駆られ、嘘と芝居で
身を塗り固め、役者気取りで自分を英雄天才視し、人類の救済を気取って、大言壮語し、自己欺瞞と他者篭絡に憂き身を窶すことすら
生じかねない。 その反対の被害妄想や厭世意識も似たりよったりである。 】
[5]続きを読む
05月21日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る