ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4804,変えてみよう!記憶とのつきあいかた ー2
 今の自分のランクを受け入れ、それでよいのだとする以外に心は楽にならないのだ。禅では「不思善 不思悪」といって、思い出さない
 ことをもって最も尊いとする。といって、無理のことなら、思い浮かんだら、しばらく放っておいて手を出すな、必ずその思いは
 消えると、禅では教えている。 実際に、どのような思いも5秒で消える。・・・ ≫
 ▼ 「どんな思いも5秒で消える」は、言いえて妙である。出るのは仕方がないが、なるべく、そこで切るように心がければよい。
  全ては二年で落ち着くし、目先は五秒のフラッシュで出てきた思いの延長を考えないこと。特に寝付けない布団の中での苦悩の嵐は、
  訓練で最小にすることが可能。 そのためにiPodを枕元に置いている。最近は、ほとんど夜半、使うことはないが、音楽は効く。
・・・・・・・
3697, 自己を見つめる −18
2011年05月10日(火)
  * 老いについて ー�    〜P270「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
【ショーペンハウアーが言ったように、そうした老年の実りが熟するためには、まず何よりも、人は、健康と生計の維持に、早くから
留意して、みずからの人生設計を築き上げる努力を怠ってはならない。生計もままならない病気がちの老年は悲惨の一語に尽きるから。 
そうではなしに、比較的健康に恵まれ、また、なにほどかの金銭を蓄えた老年は、少なくとも社会生活全体の安寧が保たれた条件下
では、むしろ静かで、平穏な人生の実りの時期になるであろうと、ショーペンハゥアーとともに人は言うことができるかもしれない。 
生の本能の激しい渇望も静まり、社会的責務もいちおう果たし終えた、比較的自由な老年は、自己を振り返り、世界を見つめ、
知性の働きを純化させて、洞察と実りを結びうる最良の時期だと、たしかに言えるであろう。
 しかし、そのためには、人生に対する過剰な期待や野心に惑乱された、思い込みの激しい混乱した想念から解き放たれて、
冷静にこの世の営為をその真相において見つめる知恵の魂が熟成してこねぽならない。ショーペンハウアーが言ったように、
人生の表側だけでなく、裏側もすっかりよく眼のなかに入った老境においてこそ、初めて、人生の虚妄と空しさが会得され、
所詮はいかなる人生も五十歩百歩であるという事態が得心されてくる。 そうした人生の有限性への徹底した悟りが、老境の
平静さを築く基底とならねぼならない。実際、誰しも、老年とともに、そうした悲愁にみちた諦念を学び取るものであろう。
 老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと気づかないうちに自分に忍び寄ってきて、
自分を支配するに至ったことを理解する。 自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、ようやく分かるのは、
老年になってからである。 老境に至って、ようやく、自分の歩いてきた人生が、その意味と射程において、誇張も、卑下もなく、
ありのままに見つめられ、自己の人生の限界と特性、その意味と無意味とが、過不足なく凝視される萌芽が生い育ってくる。
この世の中の名誉や名声や栄誉などが当てにならず、他者の身勝手な憶測に依存した評価に過ぎないことも、すべて見抜かれている。】
 ▼ 新潟で事業を事業を立ち上げた時、近隣の土地のオーナーの老人に建築確認の判を貰うため交渉をしたときに、心底、驚いた。
 自分の優位の立場を利用して、自分の人生の鬱憤を晴らしている姿が老醜そのものに思えた。これは沼垂界隈の特性と当時は思ったが、
最近分かったのは、実は老人全般が持っている性癖ということである。内面を見つめる力のない人は、その鬱憤を外に向けるしかない。
それを長年かけて培ってきたため、心の底には、怒りと憤りが底なしの泥沼のように深く蓄積され毒ガスのように湧き出ている。
そのガスの対象を次々と探し出し、他虐、そして自虐として爆発を始める。それが老醜である。 老年は、その道を一歩ずつ
歩いていると割り切った方が良い。そうすると、長生きは、ほどほどということになる。 それにしても老醜という奴は、である。
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3332, 全然人種が違う「携帯世代」
2010年05月10日(月)

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05月10日(土)
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