ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4805,閑話小題 ー倒産よもやま話 ー⑥
* 当事者の隠れた心理とは
其の辺の視線から度々、思うことは、当事者の心理まで解ってないということ。ホテル建設の準備と立上げほど
面白い仕事はないのでは? 実感として、そのトータルと、一応軌道にのせた時に、その金額分の元を既にとった
実感がある。これは事業創業と同じであるが。 クルーズが好きで、趣味が興じて、その設計から建設まで、造船会社と
打ち合わせをし、造りあげた船が10年、20年後に難破して命からがら助かったとする。その時に、誰かが、「惜しかったで
すね!」と言われた気持ち?が、こんなもの。 「いや、これだけ楽しんだから、未練も悔しさもない!海から引退する身に
とって、下手に中古品として残っているより、この方が危険な遊びより解放されて、むしろ良かった」が本音。 第三者は、
難破して命からがら救われた、姿しかみてない。しかし、当事者は、その辺りが周辺の視線とは全く違う。
これも、救命用具と救命舟を用意して、命からがら助かった?からこそ、言えるのだが。 で、ボートしか乗ったことが
ない人ほど、その時に勝手な揶揄をすることになるが、その面白さが、何ものにも代え難いことは知る由もない。
人は、それぞれ、頑固な岩場の小さな洞窟内のことしか、知りえない。それは、あくまで、大小の大きさの差でしかないが。
私の身近な人の心理が、こんな心理もあった?ということを、自分が経験して初めて知ったこと。
両親の生き様の後ろ姿から、「人生には、何が起こるかもしれない、だから、その時々の楽しみは、その時に、味わうこと
を、子供ながら学んだ。それにしても、9割以上?の何も考えない人たち、何をしているのだろう。年金生活に入っても、
収入の二割は漠然たる目先に不安のため、預金をしていて、死期が迫ってから、この世に、したいことをし得なかった無念と、
預金を残して死んでいくのだから、恐れ入る。 で、「そのお金もない、したいこともない、無念もない!で、どうした!」
これはこれで、おめでたいこと。これも、目くそ鼻くそを笑う範疇でしかないが! 王陽明もあるが、論語もあるか?
・・・・・
4438, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか ー8
2013年05月11日(土)
ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー前野 隆司著
* ルート7 リラクゼーションと東洋的思想からのアプローチ(思想の道)
「いい湯だな」と「悟り」は同じこと。両者とも「リラックスの極致=悟り」ということ。
笑いは緊張とリラックス(弛緩)の間に生まれ出る。喜劇やお笑い番組の束の間に悟りがあるのか?
お笑い芸人が果たして悟りをひらいているのか? という疑問が出てくる。しかし「深いリラックス」が、悟りと笑いにある。
早朝のミニサイクリングで信濃川の土手を音楽を聴きながら、深呼吸をしている時の気持ちは悟りの心境である。
深くリラックスをしてないと、自分が壊れてしまう恐れもある。逆に悟りに近い心境は自ずからリラックスの状況を求める。
−その辺りを抜粋ー
≪ 先ほどの達人の境地や禅僧の姿はこれに通じるものがある。自分を磨くことによって至ることのできる境地。
これに対し、リラックスの境地は、「世界を貫く原理原則を知った」状態とは異なるように思えるかもしれない。
しかし、そうだろうか。リラックスの境地は、我欲や悩みやその根源である身体の不自由さから解放された境地だ。
心が無であること、あるいは、幻想であることを、体で理解した境地だ。
「ああ、世界での幸福なあり方とはこういうものか」と体で理解した境地だ。そう考えれば、リラックスの境地は、
「世界を貫く原理原則を知った」ことと等価ではないだろうか。「体で理解」する点が、禅宗の「不立文字」とも関係している。
先ほど述べたように、禅宗では、悟りの境地は言葉では言い表せないものだと考える。右で述べた、体で理解した境地とは、
まさにこのことだ。
頭で理解したのではない。体で理解したのだ。体で、世界を貫く原理原則がわかった、と実感したのだ。
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05月11日(日)
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