ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[393427hit]
■4731,閑話小題 ー結婚生活は、忍耐、努力、諦め!
モンテーニュら偉大な思想家たちの思索を辿りながら、誰もがそこから逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。
ーー
哲学史から、世界との関係より、自分自身との関係を重視した思想家たち、ソクラテス、モンテーニュ、パスカル、アミエルなど、
を取り上げている。「自己」の哲学的意味を知りたい人が、その思想家を見つけるための「カタログ」でもある。
どのページを開いて、4〜5行を読むと自己に対する意味が自己完結しているように書いてあるのが良い。
≪ 自己への問いは、いわば、われわれに課せられてくる問いなのである。日常に亀裂がはいり、自己の存在そのものがひとつの問題で
あることに気づかされる時が、われわれに訪れるのである。ひとたびこの問題に遭遇すると、自己は一種の棘となってわれわれを
苦しめることにもなる。----- しかし、その歩みを通じて、自己がどのような存在であり、自己として生きることがいかなることかが
少しずつ見えてくるであろう。 自己への旅は、われわれが自己の多様な側面を解きあかしていく思考の経験であり、自分との対話や
反省の試みを介して自己を掘りさげていく経験である。 ≫
≪ 自己探究という冒険には、終わりがない。それというのも、自己は不断に変化することをやめないからであり、自己を探究する
視線にも変化が伴うからである。 それゆえ、この冒険は、変化するものをめざす視線と、それ自身が変化する視線とが交錯するなかで
くりひろげられる絶え間ない自問自答の過程である。 そこでは、見えていなかった側面が見えてくる、自分に疑いなく見えていたと
思っていた側面が疑わしくなる、自分の見方の狭さ、窮屈さが見えてくる、もうひとつ先を読む見方が自分に求められてくる、
というようにして自分を軸にした思考がくりかえされる。 この思考は・柔軟性を欠けば、こり固まって偏狭な自閉的世界へと
入り込んでしまうのかもしれない。 ≫
▼ 60歳を過ぎてから、自分では見えていたと思っていた側面が疑わしくなってきた。 老化とは偏狭な自閉的世界に入るプロセスでも。
最近、自分の中に以前から下町などで見てきた歪んだ顔の老人の姿が合せ鏡になってきた。 自分の老いを見つめることも自己探究。
・・・・・・・
3259, 世界の深さは、世界を読む人の深さにかかってくる
2010年02月26日(金)
*蒟蒻問答
八五郎。昔の伝で上州は安中で蒟蒻屋を営む六兵衛を頼ってやって来た。 六兵衛さん曰く「丁度村の寺に住職が居なくて困っていた所だから、
そこの住職になれ」と勧められた八五郎、気楽に過ごしていたが、ある日、諸国の僧侶が問答をしたいとやって来たから、大変。
当時は、問答をして負けた方が、寺を明け渡して出て行かなくてはならない決まりがある。八五郎は、仕方なく、その日は住職は留守だとして
旅の僧を引き取らせますが、また来ると言われ、困った八五郎六兵衛に相談、六兵衛は自分が住職になって適当に追い返すと言うので八五郎は
代わってもらう。次の日、早速旅の僧がやってくると、住職になりすました六兵衛。 僧の前に座ったきり口をきかない。
旅の僧は住職が無言の行をしているのだと勝手に思い込んで、身振り手振りで問答をしようする。自分の胸の前に、指で小さな丸を作って
前に突き出すと、住職に成りすました六兵衛、若い僧を睨み付け、両手を大きく動かして円を書く。
(字数制限のためカット 2012年2月26日)
・・・・・・・・
2884, 被膜で隔てられて
2009年02月26日(木)
「ことばの顔」ー鷲田清一 中公新社
被膜に隔てられてー ミッシェル・セールの哲学
ーもし君が身を救いたいと思うのなら、君の皮膚を危険にさらしなさいー
何気なく読んでいたら鋭い指摘に、深く納得。
ーその一部をまとめてみるー
私たちは傷つくことを深く恐れているらしい。いつも被膜越しに、防禦壁ごしにものに、出来事に関わろうとする。
[5]続きを読む
02月26日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る