ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4654, 閑話小題 ー今年の総括
 中島義道が、女心理学者に最後まで、遠慮をしているようで、歯切れは悪いが、それでも面白い。
二人とも大学を出て社会的にも金銭的にも恵まれている余裕からこそ、好きなように出来るが、それがないと?
島国の世間的体質にドップリ漬かり、そこから一歩も出ることができない日本人に冷笑をしているのである。
 地方に住んでいると全く開き直りの出来ない人達に呆れるやら、腹がたつやら。
  ーまずは内容紹介よりー
 若い読者を対象に「生き難い」男女に語りかけてみました。しかし両著者とも、他に類を見ないような「突き放した態度」や、
「見もふたもない態度」で一貫しています。 甘えを蹴飛ばし自己幻想を突き破り、しっかり自分を見よ!と、「喝」を入れる。
 といって、「まじめに生きればいつか報われる」なんぞクソ食らえ。 人生何事もやってみなければ分からない。
「成功したければ動け! 失敗しても学ぶ事はある」といったメッセージ
 〜まずは< 第1章 結婚なんかしなくていい! >から〜
 家族至上主義を告発し、家族がないっていいね、といっても排斥されない健全な世の中がくればよい。
 ー中島義道の結論ー 現代日本は多様化していると言われながら、「勝ち組」と「負け組」という言葉が横行しているように、
ずいぶんはっきりした価値基準があります。結婚や家庭もその一つ。結婚したくてもできない人は「負け組」に分類され、
結婚できるのにしたくない人は「変人」に分類される。 そして「家庭」とか「家族」という言葉こそ、錦の御旗になっている。
「あなたにとって一番大切なものは何?」と聞かれて「家族」と答える人は、まともな人。「金」や「会社」、まして「自分」
と答える人は、「かわいそうな人」なのです。しかも、結婚して家庭をつくることは、現代日本では「つつましい幸福」
とみなされているからこそ、「善良な市民」という名の、何の才能もないけれど身の丈に合った幸福を求めている国民大衆に
大受けする。こういう風潮を「家族至上主義」と呼んで私はずっと告発してきましたが、今や「家族ファシズム」と呼んだほうが
いいかもしれない。「家族っていいね」とごく自然に語る人と並んで、「家族がないっていいね」とごく自然に語る人が
排斥されない「健全な」世の中が早く来ないかなあ、と思います。
 ー香山リカの結論ー 結婚で得られる自信や安心は、本当の意味では自分を支えてくれない。
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 時代の流れだろうが、結婚すること自体が難しい時代になってきた。「結婚をして家庭を一度は作らないと、
それを肯定も否定も出来ない。」というのは、「家族至上主義」の侵されているためか。しかし、ベースであることは確か。
逆に「家族で群れてなぜ悪い?」という問いを立てると、そのプラス・マイナスが見えてくる。「群れている分には良いが、
独りになれないだろう」とか、逆に「‘人’と‘人間’の初めの境い目が家族だろう」とか。
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3174,言葉はこころの杖
2009年12月13日(日)
 「片耳の話」ー秋山駿著 で、
「言葉は、人生を歩くための杖である。というより、こころの杖である、といった方がよい。
 若いときは、高く跳ぶための杖だが、老いれば、転ばぬための杖である」
「―汚い言葉は、汚い痰のようなものだー 私は教室で若者達に、このようなことを言っている。
 もっと言葉にお洒落になってもらいたい、として、よくプルタルコス[饒舌について]の次の言葉を紹介する。
《 すなわち、酒は本来楽しんで愉快になるために発見されたのに、むりやり何杯も、それも生のまま飲ませる
 連中がいて、こうなると酒は不愉快な泥酔のためのものになる。 まさにそれと同じように、言葉は本来楽しく、
 かつ最もよく人間味を伝えるものなのに、それを悪用し、また無造作に使う者がいて、そうなると言葉は人情に反し、
 かつ人を孤立させるものになってしまう。》」と、言葉の人生に対する影響を述べている。 
それは、杖だけでなく刃物にもなってしまうこともある。人生の終盤を迎え、そろそろ転ばぬように、自分を支える杖と

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12月13日(金)
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