ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4522, 生きる悪知恵 ー1
最近、首相や、県知事、市長などをみていると、「何、これは!」と、心の底から思うようになった。
青年期にみた老人の捩れた言葉?が何だったのか分かりかけてきた。 当時は、「自分が、何も出来ないのに他人に対し
何故に背後から刺す言葉しか吐けないのか?」と、嫌悪感を持ったもの! 特に一生を無為に過ごしてきた人ほど、強くなる。
ベルクソンが「人生の歩みを進めれば進めるほど、私はわれわれがあまりに貧しいものであるのに気づく。
偉人と呼ばれる人と、他の人々との間にはほとんど差はない。特にいわれもなく与えられたものと、その時々の状況、
あるいは人生の運というものを除外するなら、差は少しもない」という言葉に深く納得する。特に情報化がリアルに表出させる。
ところで、ベルクソンは「時間と自由意志」でアリストテレス以来の時間論に対して、画期的な反対論をとなえ一気に名前を高めた。
ベルクソンはまず、人間の意識によって時間を考えなおそうとした。普段、我われが考えている時間とは、現在の一点を中心に過去へ
未来へと空間化され、直線のように考えられ、測れるものとされている。現に私も、同じである。 アリストテレスもカントも、
伝統的な時間論に従っていた。アリストテレスは「以前と以後に関しての運動の数」、カントは「時間は人間主観に備わった形式」という。
ベルクソンは、時間は、本来数えることのできない、はっきりした輪郭を持たず、外在化する傾向も持たず、数との間にいささかの
類縁性ももたない、継起(数えることの出来ない感覚や感情の持続)であると、考えた。彼は、人間の生を純粋に持続するものと
とらえた上で、その純粋持続こそ時間だと考えた。純粋持続は意識に直接与えられる時間、内側から生きられた時間であり、時間は、
音楽のメロディを聞いているようにときのように、空間や世界から切り離されて、徹底的に主観化され、内面化されている、とする。
演劇を観ていて時間を超越している感覚である。 話は少し脇道にそれたが、人生など結局は独りでしかない。偉人とかいうのも、
所詮は、その時代の尺度の評価でしかない。 それも時代時代に評価が変わっていく。
「人間は<よく生きること>ただ、それだけで充分」と思うようになっただけ、歳をとった。
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3042,上杉謙信の家訓
2009年08月03日(月)
NHKの日曜日の大河ドラマは、この数十年来ほぼ見てこなかったが前回のシリーズから転換した。
今年の「天地人」の視聴率も良いと聞くが、上杉謙信の精神が直江兼継を通して我われに伝わってくる。
それが何かというと、あまり知られてない。数日前もTVで上杉神社などを紹介していた。
そこで検索に「上杉謙信の家訓」といれたら、やはりあった。 米沢の上杉神社に石碑にもなっている。
【 上杉謙信公家訓16ヶ条 「宝在心」 】
一、心に物なき時は、心広く體泰なり ー心を見失わせるような物がない時は心が広々として、体がゆたかである
一、心に我儘なき時は、愛敬失わず ーわがままに振舞うことがない時は、全てを愛し、慈しむことを 忘れないものだ
一、心に慾なき時は、義理を行ふ ー惜むようなことがない時は、他人への義理や思いやりを 忘れないものだ
一、心に私なき時は、疑ふことなし ー自分勝手な心がない時は物事に対しても疑うことはない
一、心に驕(おご)りなき時は、人を敬ふ ー思いあがった心がない時は他人を尊び敬う気持ちになる
一、心に誤(あやま)りなき時は、人を畏(おそ)れず ーやましい心がない時は他人を恐れることがない
一、心に邪見なき時は、人を育つる ー心に偏見がない時は人を立派に育てられる
一、心に貪りなき時は、人にへつらうことなし ー心に欲が深くない時は他人におべっかを使いへつらうこともない
一、心に怒りなき時は、言葉和かなり ー心に怒りがない時は言葉は柔らかく和やかになる
一、心に堪忍ある時は、事を調ふ ー心に耐え忍ぶ努力がある時は物事は順調にすすむ
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08月03日(土)
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