ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4435, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか −5
暗いものとなるのは必定である。したがって、誰もが、早くから、その点に留意して、自分を守る必要がある。 しかし、いくら
用意周到を心掛けても、予測しえない出来事の起きるのが人生である。 老いと高齢化の行く手は、誰にも予測することができない。
むろん、老いとともに円熟する人生というものも考えられる。しかし、人間は、受肉した自分自身を、自分自身の思いどおりに、
させたり、若返らせたり、あるいは好きな姿で老化させたり、終わらせたりすることはできない。 自己の自然的かつ社会的な
存在のうちには、自分の思いどおりにならないもの、いわば自己の根源的受動性が潜んでいる。自己は、自己を越えた宿命の定め
委ねられた側面を、その根底に抱えている。 いかに自発性に富み、能動的で、いわゆる勝ち気で、理性的な人といえども、
自分の老化と死を、自分の思いのままに支配することはできない。 人は、老化と死の歩みを停止させることはできない。
それどころか、老化し、瀕死の身となった自分自身を自己は、自分で処置することもできず、そこでは自己の能力の限界に突き当たる。】
▼ 定年などを切欠に職を終える時期に、人は、老いの段階に入ったと認識させられる。特に定年制は、まだ活力のある逸材を含めて、
一律に世の中から排除する一種の姥捨てとして、世代交代の作用にもなる。姥捨ても見方の一つだが、現実には山中で悲観にくれる
のも辛い。 二人称である親族、知人などの最期を傍でみていても、壮絶である。そこに向かって一日一日が歩みだした自覚を
持ったとき、本当の老いが始るのである。 起承転結でなく、起承転々というが、これが難しいはず。老いと向き合う時期に入ったか。
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3330, スモールハッピネスの「少年ジャンプ世代」
2010年05月08日(土)
 「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) −3
   * スモールハッピネスの「少年ジャンプ世代」
 いまの日本を語る上で、以下のように著者独自の観点で世代を分けている。
≪ 偏差値の次に指摘するのが「少年ジャンプ世代」である。この世代は「偏差値世代」より、さらに考えることが出来ない世代。
 彼らが育った1980年代後半は、「少年ジャンプ」が部数的に大飛躍した時代で、1990年に入ると、実に600万冊以上も売れた。
 その「少年ジャンプ」で描かれるのは、編集方針である「努力・友情・勝利」という、3つの要素の入った物語。
 この3つの要素で1つの物語が完結をする。 しかし、その物語というのは、‘近くのラーメン屋の娘と仲良くなれたらラッキー’
 というふうな世界である。 勝利は社会的な勝利ではなく、極めて身近な勝利である。小さな夢と身近な友だち、そして幸せ。 
 それもいいが、言い換えれば、「非常な内向き」ということになる。 このような、外向きでない人間たちがいまの日本の
 働き盛りの中核を占めている。 これは憂うべきことで、日本だけの閉じられた世界ではグローバルは立ち行かなくなる。
 少年ジャンプの世界は、最後は勝利である。 そこには、ものを考える余地がなくなっている。 2000年代に入ると、
 その少年ジャンプが部数低落に歯止がきかなくなってしまった。主人公が努力している姿を見ても面白くなくなったなど、
 色いろ分析されている。 この世代に続くのが、「ゲーム・キッズ世代」である。 ≫ 
▼ 以上が要旨だが、国が衰退するときは、頭と尻尾から腐ってくる。 それにしても幼稚である。草食系は、アメリカと、
 その手下の自民党、社会党、そして官僚の長期政策の結果だったのである。
 ここで思い切った政策の変更を根底から変えなければならない時期に来ているが、果たして可能かどうか。
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2955, マネーはなぜ暴走したのか?
2009年05月08日(金)
 * アタリの経済危機を考える 
NHKの連休の二日間のジャック・アタリのインタビューの内容が考えさせられた。
 二時間近い内容を、頭に残っているまま思い切って要約すると、
《 この経済危機の大きな要素は、ベルリンの壁の崩壊である。これは人類3千年かけて望んできた

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05月08日(水)
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