ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4079, 老いの見本帳ーダークサイト −3
現在振り返ってみると、それほどでもない。 さて、この一週間で サルトルで思い出した知識といえば、
・「主体性」の哲学であること。
・デカルトは「あらゆるもの疑ってみた結果、疑っている自分、そのように考えている自分がいる、ということだけは疑うことが
出来ないのではないか」と考え、「私は考える、ゆえに私は存在する」とした。
それをサルトルは批判をした。彼は「私が、何かを見ている」「私が何か考えている。」の「私」が疑問という。
「何か考えている」は確かだが、「私」は振りかって「反省」をしていた時に生まれる対象。つまり反省している意識とは、
意識自身を対象とする意識なのである。「私とは一人の他人」なのである
・人間は自由の刑に処されている。「人は何も決められてない投げ出されて、一から自分をつくりあげていくしかない。
それが人間の「自由」である。投企とは、現在の自分を乗り越えるため未来へと 自分を投げ出していくこと。
人生を前向きに生きていくことということである。
・アンカジュマン=自分の選択をする以上、自分の行動には責任を負わなければならない。
と同時に、社会の未来に対して責任を負うべきである。
ー 等々である。 次回は、新たに知ったことを要約してみる。 ヾ(^ω^*)
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2007年05月26日(土)
2244, 耐震偽装 ー2 ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!。
この本の、面白さは著者の藤田東吾がHPに時系列で記録を残していることである。
だから政治家や役人が奇麗ごとをいっても、その時やりとりした記録には真実の迫力がある。
(字数の関係でカット2008年5月26日) ーつづく ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
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2006年05月26日(金)
1879, つれづれにー おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
湯沢のイナモト旅館が自己破産をしたと、先日の新聞に載っていた。
(字数の関係でカット2009年5月26日)
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2005年05月26日(木)
1514, 酒中日記 ー「酒中日記 」中公文庫 吉行 淳之介著
何げなく図書館で借りてきた「酒中日記」が面白い。「小説現代」に連載された『酒中日記』のエッセイを集めたもの。
出版年は2005年だが、各エッセイは昭和41年からのもの。四十年前の酒飲みの交友であると同時に、文壇交遊録でもある。
ちょうど私が20代の頃で、東京、四日市、神戸、千葉、金沢、と転々としていた所々で、うまい酒を飲みまくっていた頃である。
現在の私の年齢と同じ位の当時の作家達が、面白おかしく酒を飲んだ生々しい日記だから、更にひきつけられる。30年〜
40年前の日記が、昨夜のように感じられるのが良い。さすがに作家の日記である。具体的に克明に、面白おかしく書いてある。
このように私も当時の酒中日記が書いてあったら、それぞれの懐かしさが具体的に記憶に鮮明に残っただろうに、残念である。
「金沢などの当時の人間関係を織り込んだ酒場でのやりとり」が書き残してあったら、私にとって絶品の内容になっただろう!
誰もが、酒で多くの気晴らしや、ほろ苦い出来事や、面白い記憶があるはずだ。この本では、酒を通じての交友、華やかな祝い酒、
酒乱とその翌日の後悔の時間、大酔しての活躍状況、いくら飲んでも底なしの人物…… その他いろいろ、各種各様のタイプの
酒にまつわる話が次々と出てくる。吉行淳之介から、安岡章太郎、瀬戸内晴美、遠藤周作など現代文学史に出てきそうな人たちから、
山田詠美、吉村昭までの32人の作家によるエッセイだから、面白くないわけがない。「某月某日」で始まる(酒を飲むこと)を
テーマに軽く書かれたが内容は生々しい。「バーからバーへとはしごを続け、気が付くとパジャマで朝の新宿を歩いていた」とか、
作家同士、昼日中に相手の家に押しかけ、飲んでは人を呼び自分も出かけるという、「作家」イメージが見事に再現されている
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05月26日(土)
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