ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3098, 政府の借金など返済の必要なし? ー1
山折哲雄は、折しも「日本から『大物』が消えた」(月刊誌・諸君)と述べる。
大物を好まなくなった現代日本の文化状況と、大物と本物との違いなどについて語るのだ。
山折は最近亡くなった2人の政治家(宮本顕治、宮沢喜一)の訃報(ふほう)記事に「大物」の形容詞が
使われていないことに着目。考えてみると彼らに限らず大学の大物総長、学界の大ボス、文壇の大御所、論壇の大家、
財界の大物…みんないない。なぜか。 ひとつには大量消費という時代の胃袋に消化(消費)され尽くし、
個人が大物にまで育つ余裕がなかったこともあろう。残るのは大量生産を担ったトヨタなどの組織ばかりである。
ところで山折の区別によると本物は、政治的利害に生きる大物と異なり、権威と真っ向から対決し、師殺し・父殺し
・神殺しによってそれを乗り越える毒々しい存在だ。しかし生命は、そうした死を通じてのみ次代に伝えられるのであって、
結局大物の不在は、師殺しにいたる対決自体を不可能にし、伝えられる文化を小さなものにしてゆく。
たしかにテレビ時代を通じてわれわれは一貫して、他の人間をテレビ的サイズに
縮小して眺める視線に慣れ、今またネットブログの定着で、他人の思想・行動を高みから
安易に分析・評価する手段を得た。“見下ろす”視線の獲得は一瞬、自己の拡大を錯覚
させるが、そこに結ばれるのはどうやら卑小な自画像にほかならないようだ。
そしてみんな小物になった、か。・・・・ (評論家 稲垣真澄)(2007/09/23 )
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(字数の関係でカット2008年9月28日)
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2006年09月28日(木)
2004, 「私」のための現代思想 −4
(。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
社会は本来、我われがよりよく生きるためにつくられた筈だった。しかし社会そのものが私たちを束縛し、
苦しめている現実がある。そのような束縛から逃れ、「自由」を手に入れるために、<社会>
から一段上に立って見直す必要がある。この本では、その「もう一段上の視点」を とであると考える。
次の章では、その
09月28日(月)
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