ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2595, 閑話小題
心のジャングルの中の暗い小道で、「知識」という光を持たないためである。

おそらく、その人がこの文章を見たら驚くにちがいない!(いや気が付かないか?)
その人が長年のかけて作りあげてきた世界ープライドの裏側を指摘され、根こそぎ否定されるからである。
本人の自慢といえば、子供が気楽に近寄ってくることぐらいである。

諺に「他人(ひと)を呪えば、穴二つ」というが、それが趣味になってしまっているから、なお恐ろしい。
短大卒のあの人(プライドの高さが実態と全く伴わない?)。親や舅・姑などに頭を抑えられている人。
転職を繰り返している人。夫婦間が上手くいってない人。 等々に、こういう傾向の人が多い。
(これでは、殆どの人を網羅してしまうが)

誰もが一時期でも、こういう心情は持った経験があるはずである。しかしこの性癖から抜けてない人が多いから面白い。
これが、その人を不幸にしていることに気がついてないから滑稽である。 そういう私が一番滑稽である?!
『世間様』を小ばかにして見下しているのだから。  「世間様」から見たら、なお滑稽だろうが?

そういえばマスコミ報道は、敗北者の視点である。
記者や、ディレクターは「視聴者の心理が敗北者の視線」ということを知っているのだ?
マスコミ報道に我々は更に洗脳されているのである!
マスコミを盲信している大衆のレベルを周知しているためだ。
「大衆を善玉して、誰かを血祭りにする」のが、手っ取り早いからだ。
人生の敗北者としての視点をマスコミが作り上げている。

・・・・・・・・・
2004年05月12日(水)
1135、「ライフ・レッスン」−13
 ー遊びのレッスン

 遊びは仕事とともにもっとも大事にしなくてはならないことである。
何のために働くのかと問われれば、遊ぶために働いてますと真から
答えることができ、何のために遊ぶのですかと問われれば仕事を
じゅうぶんできるために遊ぶのです、と答えることが理想といえる。

 遊びとはつかの間の気楽な時間ではなく、遊びのためだけに捧げられた、
じっさいの時間である。私にとって、この随想日記を書くことじたい遊びである。
遊びでなくては絶対に1000回も書くことは無理であった。 散歩もわたしにとって、最大の遊びである。
初めは腰痛対策であったが、いつの間にか遊びに昇華してしまった。 歩いて楽しいのだ。

 晩年になって過去を振り返ったときに、あの時は良かったという記憶に残るのはやはり
無心で遊んでいた時であろう。それぞれの年代において、それぞれの遊びの中で我を忘れて楽しんでいた時である。

ー抜粋
・われわれは趣味や遊びが何であるか忘れている。
家具つくりを趣味でしている人が、ある日突然「これを仕事にしよう」と思い立つ。
好きなことをして、それが仕事になれば、というかもしれない。
しかし趣味とは成果を気にしないで純粋に楽しむものである。
売るための家具をつくれば、もう趣味といえなくなる。 それは仕事である。
そのことに気づかずに、好きなことを、純粋に楽しめないことに ゆがめていく人が少なくない。

・面白くって、一日中でもやっていたい、本当に好きなことをやらずに、欲求を最大限おさえて生きていくなんて、
何ておぞましい人生だろう。遊びにかけているサファーを、われわれは並以下の人間に感じる。
しかし、真剣に問われるべきは、われわれの大半が遊びのない世界に住んでいるのは何故かということだ。

・自分自身に上質な時間をあたえてほしい。愛する人とすごす上質な時間が必要だということを、誰もが知っている。
ところが、自分だけのための、ひとりですごす上質な時間もまた必要なのだ。ひとり取り残された時間でも、
気がついたらひとりになっていたでもなく、純粋にひとりを楽しむ時間が一番大事だということを知って
ほしい。
 −−−−−
 ー以前書いた文章ー 
 
ー遊びについてー
人間にとって「遊び」は最も重要の一つである。そこで「遊び」とは何かを考えてみよう。

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05月12日(月)
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