ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2269, 家は大事である
きっと意外なところに、自分にとってかけがえのない大切なものが、
無二の存在があるんじゃないか。
ーーーーーー
西欧的な幸福感に縛られている世界観を一度、
冷静に見直してみる時期にあるのではないだろうか」
という二人の問いかけが深く問いかけてくる。
それぞれの価値観は、それぞれの地域の土壌の中から生まれてくるもの。
その土壌の中から、根っこが生まれてくる。
しかし、その土壌を冷静に見てみることも必要だろう。
グローバル化すればするほど、それぞれの地区の特性が求められる。
それぞれの異質なものを、異質として認めることが要求される。
そして自分が異質に気づくことも重要なことである。
数年前の立川談志のTV旅行ドキュメントが印象的であった。
彼が癌に襲われて殆どの仕事を中止した直後、
ベネゼイラのギアナ高地へ行った内容である。
全くすることがない彼は、そこで何と落語の稽古を始めた。
挙句のはて、現地のオカアサンをつかまえて、
「お前、暇で仕方ないだろう!」という愚問をはっした。
それに対するオカアサンの返事が良い!
「暇とはどういう意味?」
暇という言葉が無いのだ。
「それじゃあ、何もしないと面白くないだろう!」と、談志が訊ねると。
「いや、毎日が楽しい、チャンとすることがあるし、丁度よい自然もある」
談志は、その返事に何も答えられなかった。
私のギアナ高地の実感と彼のそれの違いがあまりに違っていた。
私はギアナの大自然にただ呆然、一場面一場面に感動感動の連続であった。
談志は「死に対する恐怖感」のため、自然を見る余裕がなかったのだろう。
・・・・・・・・・
2004年06月20日(日)
1174, 哲学についてー6
ー経験主義哲学ー
合理主義に対してイギリスとアイルランドから経験主義哲学が生まれた。
合理主義の「理性をとおしてのみ知識が得られる」という主張に対して、
「現実世界の知識は感覚器官をとおして得られる」という論である。
感覚による経験を絶対視する考え方は、合理主義に対してあまりにも対極にあるが、
アメリカとイギリスなどの英語圏では現在の主流になっている。
ジョン・ロックがいみじくも残した言葉がある、
「いかなる人にとって知識もその人の経験を超えることはできない」
経験主義は「人間は物体の観察可能な性質と運動しか観察できないのだから、それを
理解する為にはその性質をとおす以外ない」というロックの認識論が基本になっている。
「現実世界についての理解は感覚をとおした経験から導き出される」というのが
経験主義の中心になった。
彼は自由主義的な民主主義の基礎づくりに貢献した思想家であった。
ロックは、アメリカ独立運動とフランスの革命に、大きな影響を与えた貢献は大きい。
アイルランド出身のバークリーも経験主義者として、大きな位置を占めている。
「意識の内容は、その意識の主体にとって、経験されることのすべてである」
それ以外のことは、存在していることさえわからないという、いまでは当たり前の
ことを合理主義に対する一番いたいところをついた。
経験主義の哲学者としては何といってもヒュームである。
彼は人間を「感覚の束」としてとらえている。
彼はロックと同じく現実世界についての知識は、自分自身についても、
他人についての経験も、実際の経験を通してしか得られないと主張した。
我々が内省をするとき、頭に出てくるのは、感覚をとおして得た経験や思索、感情、
記憶からである。
「私とは感覚の束である」という彼の言葉あまりに有名である。
心理学でいう観念連合ということである。
私たちの行動は欲望や情念によって目的が決められる。
理性が介入してくるのは、目的を達成する為の手段を選び、適応する段階になってからである。
「理性は情念の奴隷」も、ヒュームが残した言葉である。
そして18世紀末から、ドイツ圏において古代ギリシャの時代に匹敵する
哲学が開花していくのである。
つづく
・・・・・・・・・
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06月20日(水)
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