ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2028, ネット空間「セカンドライフ」
しかし、それらはその後の追加工事などで、当時の原型を殆ど留めていない
ものばかり。これだけ、完璧に残って発見されたのは歴史上初めてである。
街そのものを、石膏(火砕流)を流し込んで、そのまま保存したようなものである。
ーそのグラビアの内容とは
・街全体の航空写真と、それを元につくられた街の復元の絵
・それで解ったポンペイの都市計画図
そして街の構成と築造技術
・給水システムと下水システム
・共同墓地と体育場と円形闘技場、そしてスタビア浴場
・娼婦の館の写真と、そのレイアウト。
そして、そこに描かれていた男女交合の絵
・完全に残っているパン屋と、内部の工場と、パン原型
そして、それをもとに作られたパン屋の想像図
・複合劇場施設の航空写真と、その図面と、想像図
・音楽堂と、そこに描かれていた壁画と、残されていたタンバリンと、
ブロンズ製のパンパイプ
・街の心臓部になっていた、市民広場
そこでは、街の住人や、郊外の豊かな農民、商人、遊び人など様々な
人たちが集っていた。そこでは選挙もおこなわれていた。
・公衆トイレもあり、入ると控えの間があり、外からは見えないように
なっていた。そこを入ると便座があり、排水溝があって常に水が
勢いよく流れていた。
こう見ると、現代の都市と大して変わりがないといってもよい。
ーつづく
以下は、先日書いた内容です。
−−−
1273, 2000年前のポンペイ
09月27日(月)
先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。
十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、ポンペイの街の記憶と
TVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。
ーまずはポンペイの概略を書いてみる
ナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。
古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、
パクス・ロマーナ期の繁栄ぶりはめざましいものがあった。
当時の人口は2万。
公共施設が次々と建てられ、建物の構えはローマにひけをとらないほどだった。
悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。
ヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。
大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。
きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、三日三晩、火山灰と火山弾が降り注ぎ、
泥流は火口をあふれ出し、町を襲った。
ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、噴火の翌日までにその灰の深さは
5〜7mにも達した。
屋根の損壊や有毒ガスによる窒息による犠牲者の数は人口の1割にあたる
2000人と考えられている。
そこには火砕流でタイムカプセルのように、当時の生活が残されていた。
遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった生々しい遺体の像が
幾つかあった。お金を握った者や、妊婦や、奴隷、子供、犬など様々だ。
街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップアウトしたようになるほど、
リアルに当時の生活が残っていたことだ。
残っていた住宅の壁画などから見て、「性」に対して非常に大らかであったようだ。
女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。
幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、売春宿などが通りに並んでいる。
売春の値段まで残っている。今でいうと、コーヒー一杯分位だった。
道路には轍の後がくっきりとあるし、十字路には歩道がある。
下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には広い集会場もあった。
今回のTVの特集で、全く知らないかった事実を多くあった。
街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された遺体は1000でしかなかった。
15000〜20000人の人口と推測されるから、遺体の半分は発見されなかったとみても、
9割の人が逃げ延びたのだ。
爆発から、この街に灰などが押し寄せるのに19時間の時間があったという。
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10月22日(日)
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