ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2029, 中越地震から今日で二年

             (+>∀<+)ノ 
            おぁはは〜ようさん!

中越地震から今日で丸二年になる。
今では私の周辺では「中越地震」の話題をする人は一人もいない。
もう一年以上、地震の話をしたことは無い。
大きな地震の確率は他の地域より少なくなったし、
世界の刺激的ニュースが、身近な出来事など忘れさせてしまう。

    臍が曲がっているためか、当時、その事態を楽しんでいる自分に呆れていた。
    数百メートルの小学校には夜になると殆んど避難。
    一月ぐらいは自宅周辺の殆んどの家には灯りがついていなかったし、
    毎日のように余震が続いていた。
    その最中余震が起こる度に家内と震度当てをしていた。

地震発生の一週間後に、新潟に行こうと車で出たところ20分もしないうちに、
高速道路に入る直前で震度5の余震が発生、そのまま引き返してきた。
さらに、その数日後に新幹線で通勤途上に震度4の地震にもあった。
でも、ああまたか〜位にしか感じなかった。
秘境旅行を三十数回行っていて神経が麻痺しているのだろう。
また仕事がホテル業ということもあり、緊急事態になるほど冷静さが要求されるためか?
「この程度で騒ぎすぎ」と独り呟いていたのも事実である。

    夜半に余震が連日あったが、家の倒壊の心配がないので冷静でいれたが、
    古い家の人で、危ない経験の少ない人の不安感は遥かに大きいかったのだろう。
    隣の家から女の子のひきつけの悲鳴が聞こえてきた。
    わが家の被害が比較的に少なかったが、隣同士でも被害は全く違う。
    また2キロ先の山の麓の住宅地は悲惨な状態であった。

その一月もしないうちに、自宅の裏にある空家に被災民の一家が引っ越してきた。
(あと一週間の今月一杯で、新築の家へ引っ越していくが・・)
下見に来たときに立ち会ったが、その前年に大雨の洪水とたて続きの被災で、
肩を落とした一家の姿は気の毒で正視できなかった。
300m先の長岡高校のグランドで、被災民を山古志村からヘリコプターで
数ヶ月にわたり運んでいたが、何か現実からほど遠い出来事のようであった。

    山古志村の被災者の3割は、もう地元には住みたくないと、
    街中に留まることを希望しているというが、何か解るような気がする。
    因縁を取り払えば7〜8割の人が帰りたくないのだろう。

二年前の随想日記、数日後から連載してあるので、これを見たついでに
  二年前の同月同日の日記を眺めてください。

         (。^0^。)ノサイナラ!

・・・・・・・・・
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2005年10月23日(日)
1664, ウィリアム・ブレイクの詩


中野孝次著の「人生の実りの言葉」の読書日記で、
冒頭のウィリアム・ブレイクの詩「愛」に心動いた。

  わたしの誕生を司った天使が言った
 喜びと笑みをもって形作られた小さな命よ
 行きて愛せ、地上にいかなる者の助けがなくとも
              ウィリアム・ブレイク (著者訳)

そこでブレイクの詩を調べてみたところ
この「愛について」に劣らない詩が幾つかあった。
 −−

「無心のまえぶれ」の中の一節がよい

  To see a World in a Grain of Sand
  And a Heaven in a Wild Flower,
  Hold Infinity in the palm of your hand
  And Eternity in an hour.

 一粒の砂の中に世界をみる
 一本の野の花の中に天国をみる
 つかみなさい 君の手のひらに無限を
 ひとときの中に永遠を・・・
 
年齢を重ねたせいか、このような詩の深みが見えるようになった。
また次の詩も深く心をうつ


「虎」

 虎よ! 夜の森かげで
 赫々(あかあか)と燃えている虎よ!
 死を知らざる者のいかなる手が、眼が、
 お前の畏(おそ)るべき均整を造りえたのであるか?

 いかなる遥かなる深淵で、或いは大空で、

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10月23日(月)
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