ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1981, 歩行とダンスー2
さて、本当に楽しい人生は、どっちだと思いますか。
ーー
「死ぬとか病むとか老いるとか、当たり前のことを否定として捉えるから
人は苦しむことになるのでしょう。やはり、当たり前を当たり前として捉え、
なおそれを楽しむという構えが、人生の極意なのかもしれません。」
の言葉が、彼女の言わんとすることだ。
現在という一瞬の連続が人生なのだから、その「いま現在」を楽しんでやれというしか、
楽しく生きるコツは無いはずである。
老いるにしても、苦しむにしても、その経験は、未知なる体験であるのであるから
否定してしまうのは惜しいはずであり、楽しむ材料でしかないと考えればよいのだ。
ーつづく
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2004年09月05日(日)
1251, オーストリア旅行記 −2
ーウィーンー
オーストリアといえば、ウィーンである。
ウィーナーワルツ、ウィーンナーコーヒー等の軽やかなイメージがわいてくる。
飛行場から街に入るまでの道路で、何か変った感じがした。
広告看板が一切無いのだ。
街に入っても、広告看板が小さく殆ど目立たない。
郊外は一切広告看板が禁止されており、街中でもかなりの規制があるという。
ウィーンはハプスブルク王朝の帝都として発展してきた。
17世紀以来、中欧都市として多くの文化の集積地として東西南北・欧州の
核ー交差点となっていた。
音楽やワルツ、食に建築、多大な富、異文化、優れた人材が流入し混在していった。
そこにはゲルマン、スラブ、ラテン、ユダヤのどれでもない独特の国際性豊かな
文化があった。その結果として、国民の民度は最高度のようだ。
一見華やかに見えるが、生活は質素で堅実な国民性である。
さほど大きくないないこの街に、一ヶ月間いても飽きることがないほど
多くの見所が詰まっている。
たった数日の滞在でそれを感じさせる何かがある。
学生時代、私の寮の隣室の河路という先輩と、一年後輩の南波嬢がこのウィーンに
留学したのだ。彼らは三十数年前に、この街に数年住んでいたのだ。
この街にいるだけで、いやこの国にいるだけで、多くのことが学べそうな
雰囲気が満ちていた。
ウィーンでは、まずは「王宮」である。
ハプスブルク家が640年間、帝都として代々の皇帝が住居としてきた。
13〜19世紀の間、増築を繰り返し、現在みられるような壮大かつ華麗な建物になった。
皇室の22室の部屋と、家具などが展示されていた。
旧王宮内にある「王宮銀食器等コレクション展示室」には
ヨーゼフT世夫妻が使用した銀食器をはじめ、多くの陶器などが展示されていたが、
ただただ、その豪華さに驚いてしまった。
次に[[美術史博物館]である。
世界の博物館でも所蔵する絵画及び美術工芸品のコレクションは最大級である。
1857年にハプスブル家の美術品を収蔵するために建てられたものでリング状に
部屋が創られ、多くの作家ごとに部屋が割り当てられており、ブリューゲルの
[青い花瓶の花束]や、ルーベンスの[古代の四大河川」や、ベラスケスの
「バラ色のドレスの王女マルガリータ]などが、所狭しと展示されていた。
「シェーンブル宮殿と庭園群」の美しさも見ごたえがあった。
つづく
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2003年09月05日
(金) 884, マンション事情
先日、新潟市内のマンションを見てまわった。
モデルルームを見るかぎり、マンションはなるほどすばらしい。
ここで住んでもよいかな〜というのが幾つかあった。
マンションは宝石を買うのと同じで、買った時が一番の高値のとき。
買った後は、急カーブで価値が限りなく落ちていく。
一戸建て住宅にもいえるが、デフレの時代は更にこれが加速される。
純朴な庶民に夢を売っているのだということが、よーく解った。
結婚に似ているが、全てにいえることだ。
マンションの売れ行きを見ているかぎり、恐慌の世界とは程遠いようだ。
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09月05日(火)
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