ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1817, 日暮里界隈 −2
修行することになっている。
その修行によって悟ったものが仏陀であり「仏」になったということ。


ところが出家も修行もせず欲望のままに生きている、
我々一般人は、仏教では凡夫と呼ばれていて、この凡夫は死んでも仏にならないのである。

我々は、よく死んだ人を「仏さん」と呼んでいるが、これは大間違い。
ただの凡夫なのだ。
その何でもない死者をせめて仏弟子にしてやろうかってのだから坊ずは、
なぜか骨拾いの現場には立ち会わない。
残酷な火葬ってのは出家もしない凡夫が行う唯一の修行なのだ。
人間の存在とはもともと無いものだ、という仏教観を教え込むための修行が火葬なのだ。


仏教の修行に「不浄観」ってのがある。
なにをやるのかっていうと、死体が腐乱していくのを何日も見続けながら、
その腐乱死体が自分や、自分が恋焦がれたあの美しい女性の本当の姿なのだと観想し、
自分も、他者も、生などというものも本当は存在しない、それをあると
思っているのは幻影なんだと「悟る」こと。
火葬は、その「不浄観」の修行のひとつ。

これは、両親からいただいた体を大事にしなさいっていう、
中国や朝鮮の儒教思想とも相容れない考えかた。


仏教ってテロリストの思想を持ったこともある秋野孝道という
明治42年に曹洞宗大学(駒澤大学)の学長が
『禅の骨髄』(大正4年)にこう書いている。
「もし、慈悲同情の心よりせば殺しても殺したにはならない」
「日本軍人として敵兵を止むなく殺すのも皆これ東洋の平和の為と
 云ふ慈悲同情の念からするのであるから殺生にはならぬ」

慈悲同情心があれば殺しはゆるされる
これが道元直系の伝統・本格派の禅僧!の言葉である。
座禅は、罪も無い他人を殺すための修行でもあるのだ。
ーーー

以上のように初めから終わりまでこのような文章が続く。
この人の文章を読んでいると、全くそのとおりと思えてくるから不思議である。

極東の島国では仏教は丁度良い思想と思っていた。
禅坊主が「考案」とか訳のわからない議論をして悟り顔をしているも、
山岳の多い風土には丁度良いのだろうが。

あのアブラハムが創りだした「アラーの神」も、東洋の片隅から見てみれば、
砂漠の無知の民をマトメル為の嘘ー方便にしか見えない。
その反対に彼等から見れば山根二郎のいう論も、的を得ている。

この位の論を持っていないと、葬式坊主どもに集られてしまう。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年03月25日(木)
1087, ある日突然

ある日突然、今まで順調であった仕事や商売が成り立たなくなる時代になった。
以前は、時計屋が典型的な事例であった。
・25年前に、デジタル時計の出現でアナログ時計の売り上げが激減をしてしまった。
・10年前には駅前旅館も消滅をしてしまった。
・その後、業種店はスーパーなどの業態店の出現で殆ど壊滅した。
・そして、酒屋や米屋やガソリンスタンドなどの規制で守られてきた業界も
 一瞬で壊滅をしてしまった。
・最近では、駅前のあちこちにあったDPEの店もデジタルカメラとプリンターの
 普及で、いつの間にか無くなってしまった。

次は、何であろうか?
全ての経営者が自分のところではないだろかという恐怖の時代になった。
DVDとビデオレンタルの「ツタヤ」が光ファイバーとデジタルTVのドッキングで、
ある日突然消滅するのではという可能性を秘めているとか。

鳥インフルエンザで、京都の養鶏場のオーナー夫婦が「ある日突然」国家的犯罪者に
仕立てられ、自殺に追い込まれた。
経営者なら誰も身につまされる出来事であった。

私の事業もごたぶんに漏れず、「日帰りの徹底」で、打撃を受けている。
これに新幹線がテロに狙われたり、SARD騒ぎが起きたら、ホテルの顧客はゼロに近くなる。
本当に恐ろしい時代である。

あの絶対大丈夫と思われていたNTTや電力会社や郵便局でさえ、一歩間違えれば

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03月25日(土)
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