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堀井On-Line
by horii86
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■1652, 北イタリア旅行記−3
10章では、老人を誉め、
11章では、「今ココに」を心得よ、
  生きるのは「今ココニ」しかないと心得ること。
 「いつか社会という車を乗り捨て、自分の足で歩きだす。
  そのために、自分の奥深くから湧き出す要求を聞くことのできる耳を養うことだ。
 「ここにいることで いま生きているという意識が鋭くなる、それが喜びなのさ」と。

12章では、若い頃、筆者が励まされた尾崎一雄の言葉と、ヤンキースの松井に
 アドバイスした大リーグの往年の名プレイヤー−レジー・ジャックソンの言葉を、
13章では一人家族から離れて田舎暮らしをする畏敬の友の生き方を紹介し、
14章では自足したセカンドライフを送る人たちを紹介している。
15章では、単純・簡素化された筆者自身の生活ぶりと楽しみが書かれている
 「書」「碁」「酒」「犬」「読書」などなど。

「あとがき」にこうある。
「大量生産の安物には、二十世紀の体験だけでもうんざりしているのだ。
 人間が人間らしく生きるためには、柳宗悦が求めたように、工場製の画一生産物でなく、
 職人の手造りの上等な物がまわりになければならない。
 そんな願いをこめて、わが周辺に愛する物たちをとりあげたのが本書であった」

まあ、田舎住まいの人から見れば、何を言っているのかわからないだろうが。
田舎の人は「閑」あるのが常態であるのだ。

ー以下は、あるHPの要点の抜粋であるー

・昔から人が己れに会うとは、全体としての自分に会うことをさして言う言葉だった。
 ・・・多忙の中にあってはそういう心の世界には入れない。
 一人きりになって、他に気を紛らわせる何もなく、「閑」という状態に身を置くときだけ、
 人は全体として自分を取り戻す。

・物事の判断、得失のすばやい計算、ふるまい方や物の言いようの選択、情報収集と選り分け、
 社会の動きについての認識、そういうことを行うのを、マインドの働きという。

・自然情報とは人間がひとり自然の中にあってその声を聴くことや、自分の内なる声、
 ハートの声に耳を傾けることで、その声に従うことが自由ということなのだ。

・物というものは、あれば必ずそれに心をとられるものだ。落して壊しはしないか、
 こぼして汚さないか、傷つけないか、盗まれないか、その他その維持や保存に絶えず心労する。

・「朝夕なくて叶わざらん物こそあらめ、その外は、何も持たでぞあらまほしき」
 (徒然草)

・単純化とは物に心をとらわれないで心を無の世界に遊ばせることだ。

・人工刺激物と46時中かかわっていては、人は到底心の声、自然の声を聴くことが
 できないと、知るべきだ。それなしでは心が空虚で空虚な自分と向い合うのがこわさに
 すぐまたそれに戻るのだろうけれども、そんなことをしていては人は一生涯自分と
 いうものを受け入れることがないだろう。

・力のうちにあるものとは、自分の考え、行動、意欲、拒否、
 ・・・力のうちにないものは何かといえば、自分の身体、所有物、評判、
 社会での地位など・・・。

・自由であることを欲する者は、他人の権能下にあるものを得ようとしたり、
 避けようとしたりしてはならぬ。
 さもないとその人はいやおうなく他人の奴隷になる。

・自分の力のままにできることにおいて最善をつくせ。自分の力の下にないものについては
 運命にまかせて、それを受け入れよ。

・これが何より第一だというものをしっかり思い定めよ。そしてひとたびそうと決めたら、
 そのほかのことは全部捨てて、その一事に励むがいい。

・「第一の事を案じ定めてその外は思ひ捨てて一事を励むべし」(徒然草)

・年齢よりも若くありたいというような欲が少しでもあると、意識と身体のあいだにズレが
 生じ悲惨なことになる。

・問題は衰えること自体になく、衰えたら衰えたなりにそれを認め、それを受容し、
 それにふさわしい生活をするかどうかなのだ。

・老子は「道(タオ)」といい、セネカは「自然」といい、趙州や大梅は「仏」といい、

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10月11日(火)
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