ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7115,閑話小題 〜失うものは何もない ―3
プロセス。その為には、蓄積された知識のベースが必要? とすると、既に
遅すぎる? いや、遅くはない。一冊の哲学入門書を見つけて、繰返し
自問自答をすればよいが、良い環境にないと途中で放り出すことになる。
‘考える’とは、「正・中心・一点・無」で、問題を絞り込んでいくこと。
‘悩む’のは、それが出来ずに混乱している状態。

 今まで生きてきて実感する悪いことの最たることが「ストレス!」。
早々に亡くなった人の死因がガンによるが、大部分がストレス蓄積による
成人病。 問題は生活習慣に、早朝の運動を如何に埋めこんでおくかだ。
ストレス解消を怠ると、その毒が外に向かう。それでも、外部に向けること
が可能なら良いが。良い人の型に入りこんでしまうと「悪い人」の役割が
こなせない。これも、長年かけた習慣が必要。
『悩め、悩め、もっと悩め。そうすれば考えざるをえなくなるさ!』と
考えることもできる。長生きも良いが、その質の問題がある。

・・・・・・
6019,閑話小題 〜人間は「使い捨てカメラ」である
2017年09月06日(水)
   * 人間は「使い捨てカメラ」である
 ジャーナリストの大江瞬の「人間・使い捨てカメラ・論」が面白い。
≪ 12、24、36枚撮りのカメラは、写し終えると、そのまま現像所に送られる。
その後、カメラは解体され、フィルムだけが取りだされる。写し撮られた元の
風景は、カメラが製造される以前からあったもので、カメラがスクラップした
後も、そのまま残る。現像されたフィルムに、ピンボケだったり、何も写って
なかったら、その人の人生は虚しく終わったのかもしれない。風景は残り、人間
だけが入れ替わる。… かつての音楽を聴きながら、そのアーティストたちは、
みんな死んだ人たちである。女性歌手ならデビュー当時の溌剌とした若さから、
美しさの絶頂の20代、アラフォー、ファイブの熟女となり亡くなる前の魔女の
ような姿まで、その折々の歌声とともに記録映画・音声として残されるのは残酷
だが、それも偉大な芸術家の勲章である。… ≫
――
▼ デジカメが出来た現在、「使い捨てカメラ」をあまり見かけなくなった。
 そこで考えたのが、「人間はデジカメラである・論」。
<デジカメの進化で、気楽に、安価で、何処でも写真が撮れ、一枚のSDに数千枚
の鮮明の写真を撮りおくことが可能になった。ビデオも可能のモノもある。
そして、ブログに記念として残せる。書くことより、撮影しネットにアップする
媒体が人間の役割になっている。その写真が美しいほど、本人が薄れていく。
本人にとって、それで充分に満足。そのネット上の蓄積が、同じ嗜好の価値と
して円熟し、成長していく。カメラ、記録媒体は、止まることなく進化する。
これが人間にもいえるのでは?> 
 世界も、そこに生きる人間も刻一刻と変わっていく。カメラの機能も、それを
映し出すテレビやPCなどの媒体も人間の5感を遥かに超えて写し出す。それが、
進化し続けて止まらない。対象を一度、高性能のマシーンを通して見れるのも、
科学の恩恵。何か、本筋から大きく逸れたが。 これからすると、
「よりデジタル機能を多様すべし」になる。 仮想世界は、刺激的で面白い!

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5653,「家、ついて行ってイイですか?」 ーB
2016年09月06日(火)
 ネットの[教えて!goo] で、「ぬいぐるみに話かける男」に対する回答が7人
あったが、ほぼ肯定的の内容。 自宅から離れた学生時代の初めての独り暮しで、
部屋の座り机に鏡を置き、自問自答をして寂しさを紛らわせていたことがあった。
誰とも話す相手が居ない都会の侘しさの極めである。自宅通いの都会育ちは、
このシェアハウスの生活が羨ましそう?でもあった。25室の寮生活の生活環境は、
トイレと、共同台所と、洗濯場がある、今でいう<シェアハウス>風で、誰かが
部屋に遊びに来て談笑するなどの温みがあった。しかしアパート暮らしの友人は、
慣れるまでの1〜2年は、長期の連休前になると、誰とも接点が無くなるためか、

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09月06日(日)
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