ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7097,閑話小題 〜歌舞伎町界隈
私は新宿の近くで生まれ育ちました。母は新宿で45年間麻雀店を営んでいるので、
私にとっての新宿・歌舞伎町は“母が生きてきた場所”です。同時に幼いころから
「歌舞伎町には絶対入るな」と母からキツく言われ、遠ざけられてきたところでも
ありました。ただ、NHKのディレクターとして働きはじめたころから、実は母の
店って題材としておもしろいんじゃないかなと思うところはありました。
母は、新宿・歌舞伎町が再開発で変わりつつあることを嘆き、平成が終わる
2019年4月末で店を閉めると言い出したのです。それで、“これはいまこそ
歌舞伎町に入るべきでは?”と思ったんです。
──どれぐらいの期間、撮影をされたのでしょうか?
2017年冬からスタートし、今年の7月上旬までです。スマートフォンを使って自宅
でも撮影していました。だからテレビに映せないような格好をしていたり…(笑)。
でも、娘の私だから聞けること、撮れたものもあったと思います。 〜つづく ≫
―
▼ 昭和40年代は、学生時代の華やかなりし頃、政治家志望が多い割には、
学生運動には冷静な学生が多かった。25人のシェアハウス的な寮生活は、人間
観察にはもってこいの環境。全国から多種な学生が存在していた。学問に熱中する
もの。女遊ぶに狂うもの。ほぼ生活費を稼ぐに一杯いっぱいのもの。バランスの
とれたもの。など、田舎と親の臭いが、個々に違っていた。誰か、部屋に来ては、
コーヒーを飲み、議論をするのが生業のような。月に一度は酒を持ち込み、コンパ。
3月に一度は、合ハイ。バスを使うことはなく、電車移動が主。 可愛い女子大生と
胸を躍らせ… ただ、深入りには注意。何やら、変な立志を立ててしまったのが、
壁になっていた? 決めていたら、その後の女性の職場の面白さが半減していた?
当時の日記を読返すと、第一の居場所が、実家と寮、第二が大学生活…
クラスと、クラブと、ゼミと、軽井沢のアルバイトの… その世界が、年々、
広がっていく面白さ、楽しさ。それは、サードプレイスの触媒が多かった。
リタイアをした結果、自由の不自由が、まず壁になる。未来の照度が暗くなった?
ためか、エネルギーが年々、減っていく。
・・・・・・
6368,閑話小題 〜長岡弁に魅せられて ー2
2018年08月20日(月)
* 「が」と「〜すけ」の多用が特徴
「長岡弁」のキーワードでネットサーフィンをして、驚くのが多さ。
次々と限りなく出てくる。街中で育ったこともあって、比較的訛りは少ないが、
それでもあるある。必死に消し去るのに苦労した「長岡弁」を改めて凝視するのも
恥ずかしいような気がする。とはいえ、それらの言葉が、心、魂の故郷のような。
違和感もないが、親しみも何も感じない「長岡弁」。言霊は訛りの中に染みつく。
〜以下はネット検索による〜
≪ ex:
「そういうことでしょ?」=「そいがろ?」、
「その物体を取って」=「そのがン取って」、
「赤いのが良い」=「赤いがァが良い」、
「何をしているのだ」=「なぁしてが」、
「どういう事なのだ」=「どいがいや」
・理由を表す「〜だから」が、「〜だすけ」または「〜すけ」と使われるが
これは関西弁の「〜さかい」、北陸弁の「〜さけ」と同じ物。
前回の他の特徴は @語尾が濁る、上がる(がぁ〜、やぁ〜)
A語尾を強めに発音
【初級編】
捨てる→ ぶちゃる
投げる→ ほんなげる(ほげる)
甘いもの→ あ〜めぇ〜がん
おしゃべり→ しゃべくっちょ
あのひと→ あのしょ
だいすき→ でぇ〜すきら
おかね→ ぜん
だから→ だぁ〜すけん
そうですか?→ そいがぁ〜けぇ〜
そうなのです→ そいがぁいやぁ〜
やだけどさ→ やらすけさ
めちゃめちゃ→ だいこっぱい
【中級編】
おかねをなげるな →ぜん ほんなげんなんやぁ〜
あの人は甘いものが好きなんですよ →あのしょ あ〜めぇ〜がん
でぇ〜すきらっけん
【上級編】
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08月19日(水)
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